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2016年2月13日土曜日

池田市で埋蔵文化財の破壊が続く事について (その3:個人的な感想)

池田勝正という人物を調べてみて、「歴史」というものについて考える時、私は、決して社会の中の一分野であるべきでないと思うようになりました。
 先人の社会は不完全な部分があるように見えますが、そこには原則や真理、また、その営みの連続が現在にも繋がっているのですから、同じ失敗をする事の無いように、私たちの有効的な智恵として、歴史を捉えるべきだと感じます。

一般的には、歴史の全てを知る必要はありません。しかし、代表的な事は知っておいた方が良いと思います。また、大き過ぎるものよりも身近で手軽なものになるべく接するのが良いと思います。
 地域の文化財は、国宝や重要文化財(確かにすばらしい)よりも庶民的で、地域性があったり、創意工夫があるものも多いのです。そして、地域の文化財も国宝や重要文化財と同じように、何百年もの歴史を持ちながら、しかもお金をかけずに、すぐ近くで触れられます。

人間は生まれてから、現時点に至るまで、色々な経験を得ます。悪い事も良い事も、色々と経験し、事の善悪を判断するようになり、その中から、自分のあるべき方向を見い出します。同じ失敗をせぬよう、これまでの自分の経験を生かして、行動します。これは、その人の時間の重なりであり、歴史であるといえます。

さて、みなさん。もし、同じ失敗ばかりする人が居た時、その人を見てどう思うでしょうか?過ぎてから気付き、事前に問題をよく考えずに行動してばかりで、より良い結果が生まれるでしょうか?これまでの経験や人との繋がりの中でよく考え、一番良い方法を選ぶのが最善の筈ですよね。

日本の国や地域の社会とて、個人のこういった行動と同じです。

今は国家制度としての教育(学校)があり、自由に学べる社会ではありますが、結局、それがために分野化され、細分化された「歴史」というものが、社会の役に立たなくなりつつあるのではないかと感じています。
 私は、いわゆる「歴史」というものをそのように見たり、感じたりしています。地域(国にも)には、地域の歴史があり、それが地域の性格を形成しています。また、色々な状況(環境)に影響を受けて、絶妙な均衡を保ちながらカタチ作られています。
 
地域とその歴史を知る事は、よりよい未来の選択のため。また、その個性を知る事は、よりよい発展のため。それらを知るためには、科学に裏付けられた公平な歴史を残して(記録や調査)おかなければなりません。
 そういう環境を経ることで、その向こうに、心のよりどころとすべき、優しく豊かな社会が見えるのだと思います。





池田市で埋蔵文化財の破壊が続く事について (その2:歴史研究が進む中で期待される地域史)

最近、中世時代の研究が進んで様々な分野の解明成果が発表されています。中世は社会が乱れ、移動も少なからずあり、また、戦乱で史料が亡くなっており、まとまった史料がありません。それ故に断片的で散在する史料の検証は進みませんでした。
 このために勝者側の比較的まとまった史料だけが研究対象となってしまい、実際にその権力を支えた地域の人々の実態は埋もれていました。
 しかし、その両方を比較検討する事で、その当時の実像が明らかになりつつあります。これは科学的歴史を継承する観点では、大変なレベルアップです。これまではやや推定を含む感情的・創作的な傾向が強かったため、誤解も多くありました。
 そういった研究が進むにつれて、地域史は大変重要度を増し、注目される環境にあります。地域史は、その地域にとってもより良い発展のための基礎データともなり、また、旧社会制度の解明にも役立ち、より広域の様々な分野に対する研究にも役立っています。それは、日本国内だけではなく、世界規模に及ぶ事もしばしばです。一地域の歴史ではあるのですが、それは「世界共通概念」が凝縮された歴史でもあるのです。

そんな中にあって、地域の歴史はやはり、地域の人々にしか見えて来ない性質がある事を知らなければなりません。その地域に住まなければ、やはりその地域の事はわかりません。逆にいえば、大きな世界の答えが、小さな地域の出来事と相対していることも多くあるのです。地域史は大きな可能性を秘めていると感じています。
 しかしながら、現代は移り変わりが、急すぎる程急です。山も川も丘も、あっという間に変形し、消滅します。こういう現代だからこそ、なお、地域史の発展の基礎は、その地域の人々の目と志しが重要となっているのです。なにしろ、地域の核となるべき人(住民)も、移動が当たり前の時代ですから。

かく言う、この私もそうなのですから。地域史という分野は、風前の灯なのかもしれません。





池田市で埋蔵文化財の破壊が続く事について (その1:池田勝正の真実を知るための在野研究)

(1)池田勝正の真実を知を知るための在野研究
池田筑後守勝正の実像を知るには摂津国人である池田家そのものの歴史をひもとく事が必要です。研究者などによる学問の発展により、その当時の記録には摂津池田家の記述が頻出している事がわかってきました。しかし、摂津池田家についてのまとまった研究というのは、なぜか現在も皆無です。
 人物・特産・出来事・交通など様々な分野でも少なく無い資源を持つ池田ですが、その中興的な基盤を作った摂津池田家の研究が殆ど無いというのは、非常に残念な事です。
 
そんな理由から、実質的な最後の当主である池田勝正について調べ始めました。しかし、勝正について、現在伝わっているものは、事実無根のものが多く、勝正没後に作られた、ある意図を帯びた作為的なものばかりです。それらは、自家の正統性を主張するために生み出された創作です。

歴史というものは、勝者の歴史とも言われる事がありますが、現代科学の発展した今を生きる私たちは、「事実はどうであったのか」を検証し、これまでの伝承を補正・整理しながら未来へつなげる事もしておくべきだと考えます。この後も持続的にこの試みが成されれば、きっと大きな成果が上がる事でしょう。

この私の試みは、小さなものですが、未来への役に立つなら、それが目的の到達点であり、大変嬉しく思います。私が先人の研究から得たように、私も何らかの継承ができればと願っています。


池田市で埋蔵文化財の破壊が続く事について (はじめに)

池田市は常々、「歴史のまち・文化のまち」と自分自身を形容する事が多いのですが、私個人はそれに対して少々懐疑的です。
※最近は、その環境を鑑みて、ついにそれを標榜しなくなりつつもあります。

昭和の末期、図書館で見る資料を見れば、その頃の池田市教育委員会は、大変意欲的に文化財の保存と活用に向き合っていました。それが今はどうか。何が違い、そうさせているのか。
 詳しくは、池田市埋蔵文化財発掘調査概報を図書館などで、ご覧いただけたらと思います。書いてある事と実際がどうなっているのかが判ります。

さて、今の池田市のルーツともなった中心部地域については、全国的にも注目される要素が沢山あります。その地域については、しっかりとした考えと計画をもって進めてもらいたいものです。

今は代替わりの時期です。また、時代そのものも変わりつつある、その真っ只中です。これまでとは違う日本になっていきますが、過去を知る必要が無いとは思えません。また、過去がどうであったか、その先に生きる科学的事実を市民(子孫)に伝えなくていいとも思いません。
 個人的に思うことですが、こういう地域の歴史に熱心に取り組む自治体というのは、現代生活にも、非常に活力があるように思います。その逆の地域は、色々な問題解決も膠着状態で、勢いが無く、寂れているところが多いように感じています。

どんどん街並みは変わり、技術も変わり、嗜好も変わります。いつまで経っても昭和のままのルールと手法。これで、変化のスピードに適うはず無いのです。

私は思います。「食って、寝て、遊ぶ」だけの文化って、先進国として自慢できますか?それはすばらしい事ですか?
※現実生活を否定している事ではないので、それはおわかりいただけると思います。

私が2005年頃に書いた、池田勝正を研究して学んだ文化財について、感じたことを以下にご紹介し、そういう世界(感じ方や考え方)も知っていただけたらと思います。

(1)池田勝正の真実を知るための在野研究
(2)歴史研究が進む中で期待される地域史
(3)個人的な感想