近年、世界中で移民や国のあり方に、大きな課題が投げかけられています。地域社会共通の認識といえる「文化」や国境の意味について、改めて考えるようになっています。
技術の発展で、人やモノの移動、通信・金融の交換が容易になり、いわゆるグローバル化が進んだ結果です。
池田勝正が生きた室町時代末期、日本、近畿地域でもそれは起きていました。摂津池田家はその、いわばグローバル化の中で成長し、反映を築いたのですが、そのグローバル化によって、人の心を繋ぐ基本単位である「家」や組織の文化が維持できなくなり、瓦解したとも言えます。
「文化」とは、日常的によく耳にしますが、それは一体何でしょう?
人間の意識には、この文化が非常に重要であるはずですが、それについて、日頃あまり考えを深める事は無いように思います。島国であり、多分、ほぼ単一民族国家であるからでもあります。
この文化について、滅びてしまった摂津池田家を通して、考えてみたいと思います。先人は今、私たちが苦しんでいる状況を既に経験しています。近年は、歴史学に「相似性」概念を持ち込む人もあり、私はそれに影響を受けています。
同じ日本の中で、前例としての事実が歴史であり、経緯です。要因が同じである場合が多いです。一方で、世界に目を向けた時、日本の社会経験が、世界よりも先である場合もあります。例えば、宗教と政治の関わり方とか、国民皆保険とか、教育、医療などです。
ちょっと脱線しました。話しを元に戻します。
本題の前に、「文化」についての定義をはっきりさせておかなければなりません。
「文化」を辞書で引いてみると、
摂津池田氏の組織変化や権力構造の変化については、詳しく知りたい方は、こちらの資料もご活用下さい。
先に述べた、国語辞典からの言葉で文化の意味を考えた時の(2)の項目について、その意味で「移民」を考えるなら、簡単に自分の国を棄て、国作りの根本である「民族自決」も理解できず、愛国心で以て国を支えるつもりも無く、自分の都合で住む場所を変える性質があるなら、地域「文化」とは無縁であり、共有することもできないでしょう。技術の発展で、人やモノの移動、通信・金融の交換が容易になり、いわゆるグローバル化が進んだ結果です。
池田勝正が生きた室町時代末期、日本、近畿地域でもそれは起きていました。摂津池田家はその、いわばグローバル化の中で成長し、反映を築いたのですが、そのグローバル化によって、人の心を繋ぐ基本単位である「家」や組織の文化が維持できなくなり、瓦解したとも言えます。
「文化」とは、日常的によく耳にしますが、それは一体何でしょう?
人間の意識には、この文化が非常に重要であるはずですが、それについて、日頃あまり考えを深める事は無いように思います。島国であり、多分、ほぼ単一民族国家であるからでもあります。
この文化について、滅びてしまった摂津池田家を通して、考えてみたいと思います。先人は今、私たちが苦しんでいる状況を既に経験しています。近年は、歴史学に「相似性」概念を持ち込む人もあり、私はそれに影響を受けています。
同じ日本の中で、前例としての事実が歴史であり、経緯です。要因が同じである場合が多いです。一方で、世界に目を向けた時、日本の社会経験が、世界よりも先である場合もあります。例えば、宗教と政治の関わり方とか、国民皆保険とか、教育、医療などです。
ちょっと脱線しました。話しを元に戻します。
本題の前に、「文化」についての定義をはっきりさせておかなければなりません。
「文化」を辞書で引いてみると、
- 文明が進んで、生活が便利になる事。
- 真理を求め、常に進歩・向上をはかる、人間の精神的活動(によって作り出されたもの)。
と書かれています。 ※新明解国語辞典第三版/1959.9..20、三省堂発行
更に、「文明」が分からず、続いて辞書を引いてみると、
更に、「文明」が分からず、続いて辞書を引いてみると、
- 発明・発見の積み重ねにより、生活上の便宜が増す事。
と書かれていました。
そのわからない部分を足して文化を説明するための文章を勝手に再構成すると、
そのわからない部分を足して文化を説明するための文章を勝手に再構成すると、
- 発明・発見の積み重ねにより、生活上の便宜が増し、生活が便利になる事。
という事になり、現代の状況(生活)を理解する事ができます。
しかし、文化の項目の(2)について考えると、疑問が残ります。ある意味そうだと思いますが、(2)の意味を「文化」という言葉から、日常的にその性質を感じているでしょうか?
さて、それらの説明で、私の目の前にある池田固有の歴史的遺物(文化財、埋蔵文化財も含む)を理解ができるかどうか、また、説明がつくかどうか。大変な疑問を感じていました。
(1)の意味で考えれば、何の格付けもされていない歴史的遺物というのは、古いだけのやっかいものでしかありません。これはごく一般的な認識です。しかし私は、もう一つの意味である(2)の事について、長い間考えていました。
私は「文化」というのは、言い換えれば「共有」ではないかと感じています。私の中では「文化」を「共有」と言い換えることによって、(1)と(2)のどちらも説明がつくような気がしています。
進化の過程で、社会が共有してきたもの。それがそこに「文化財」として残っているという事は、先人を含めた私達が、歩んできた軌跡を再認識する事であり、また今後の応用(社会や地域)の元であると、説明ができると思います。
そう意味で、曖昧な「文化(財)」という言葉を、あえて「歴史的文化財」「芸術的文化財」ときちんと区別して考える事で、しっかりとした意識の基礎を作る事ができるのではないかと考えています。
さて、前置きが長くなりましたが、いよいよ本題です。
冒頭でも触れましたが、文化とは、私達が平和で穏やかに生活するにおいて、非常に大切な基礎になりますが、その重要性に気付く事はあまりありません。文化とは「共有」であり、生きる上で全ての根幹を成す「社会風土」でもあります。
日本は長い間、近代社会となってもなお、つい最近まで「家制度」がその中心となり、個人が、一族や血縁を元に結束し、互いを守っていました。
戦国時代もそうです。その名の通り、戦国の世の生活ですので、生死にかかわる保護を「家制度」を中心に求めていました。それについて、摂津池田氏を取り上げて、文化を考えてみたいと思います。もちろん、今は今の文化がある事は良く理解した上で進めます。
摂津池田氏は本姓は藤原で、地名を名乗るようになって、「池田」と称していました。応仁の乱の頃、「充正(みつまさ)」の代で、大いに発展し、中興と考えられています。
池田氏は、その後200年程に渡り成長を続けましたが、勝正の代が独自権力体としては最後の当主です。
私は勝正を中心に前後四代程を見ていますが、特に池田氏が飛躍的に発展したのは、いち早く官僚制を採り入れたことによるものです。
意思決定と実行を別々にしたため、物事の進行が非常に速やかになって、周辺の同規模の国人衆から抜きん出た成長を遂げます。また、その成長過程で人材不足ともなり、必ずしも血縁を伴わない有能な人材を採用するようになります。その中に、荒木家や中川家などがあります。
また、その本拠地の立地も5本の国家的主要道を通し、他にも様々な街道が扇の要のように領内で交差していたため、人や物が集まりやすい環境にありました。
そういった環境もあって、摂津国内では最大級の国人に成長し、キリスト教宣教師ルイス・フロイスの日記には「要すれば軍備の調った一万の軍隊を用意できる。」とも紹介される程に有名で、大きな勢力でした。
しかし、そんな池田氏も滅んでしまいます。それは何であったか。
急成長したために「家中文化」が崩壊したためだと考えています。
これはもう少し詳しく説明しないといけませんが、価値を「共有」するための統治の仕組み(装置)を作り出せず、感覚・感情で物事を判断したためだと考えています。必要な組織化、権力の整理を行えず、時代の要請(意思決定)に応えることができずに、対立を経て、家が滅んでしましました。
また、その過程での決定的な悪要素は、当初は、当主(惣領)の補佐役としての家老(老人(おとな):池田四人衆)が、代を経るにつれて、独自権力化し、当主の選定にあたって対立する程になってしまいます。いわば、二重権力状態でした。
私は勝正という人物は、池田四人衆に擁立された惣領であり、権力はどちらかというと、四人衆側の意向が強く働く実情であったと考えています。傀儡とまでは言えないですが、勝正の代になると、当主を補佐する役目が変化していたと考えられます。
最終的には、四人衆と勝正も対立してしまい、一時的に当主を置かない時代も出現します。それ程に四人衆の権力が強かったと言えます。
しかし、それもうまく行かず、四人衆自体が分裂し、それを以て池田氏は滅びてしまいました。この時、四人衆の中に荒木村重が居り、分裂の原因は池田一族の血と、よそ者の区別が決定的になったものと考えられます。運命共同体ともいえる組織の、文化を共有する装置が無かったための悲劇であると考えています。
翻って、今の私たちも、文化というものが理解されず、作ろうとしなければ、このようにあらゆる場面で、相違・対立が起き、意思統一ができなくなります。
家庭、地域、府県、国など、単位が色々ありますが、文化があるからこその、その善悪の基準ができ、その内側で理解し合ってまとまります。意思形成の共有ができ、平和で穏やかに暮らせ、経済活動もできるのです。
今、移民の問題が世界的に深刻化していますが、文化そのものを理解することをしてこなかったためだろうと思います。地域文化を保持する工夫を打ち出さず、思考の停止状態であり、今、近代社会の概念と価値観を永続させるための分岐点に立っていると、非常に関心を持っています。価値の共有ができず、社会がバラバラになった時、本当に弱い存在である個人はどう生きるでしょう?
その意味で、文化財を大切にしない行為は、心の現れだと考えています。今や自治体(行政)そのものが、率先して歴史的文化財を蔑ろにしている状況です。考えずに、ただ見ているだけです。自治体や行政の意味さえも、もう衰退しつつあります。就職先のひとつみたいなものです。統治力(ガバナンス)が、低下すればどうなるか。無法地帯となります。法律だけで全て統治はできないのです。それは文化による「善悪の判断」が、機能しているから社会が支えられているのです。
個人的には、建国以来、また、太平洋戦争敗戦直後よりも深刻であると感じている程です。これから先は、これまでとは全く違います。
国家観の欠如が、これまでに無い、事件と事故を起こしています。これまでには考えられなかったことが頻発しています。文化はゆっくり壊れています。この先は、更に壊れるでしょう。
文化は簡単に壊れます。組織も簡単に壊れます。例えるなら、胴上げの時、それぞれが役割りを忘れて、手を引っ込めるだけです。一度壊れてしまえば、二度と再生できません。
しかし、文化の項目の(2)について考えると、疑問が残ります。ある意味そうだと思いますが、(2)の意味を「文化」という言葉から、日常的にその性質を感じているでしょうか?
さて、それらの説明で、私の目の前にある池田固有の歴史的遺物(文化財、埋蔵文化財も含む)を理解ができるかどうか、また、説明がつくかどうか。大変な疑問を感じていました。
(1)の意味で考えれば、何の格付けもされていない歴史的遺物というのは、古いだけのやっかいものでしかありません。これはごく一般的な認識です。しかし私は、もう一つの意味である(2)の事について、長い間考えていました。
私は「文化」というのは、言い換えれば「共有」ではないかと感じています。私の中では「文化」を「共有」と言い換えることによって、(1)と(2)のどちらも説明がつくような気がしています。
進化の過程で、社会が共有してきたもの。それがそこに「文化財」として残っているという事は、先人を含めた私達が、歩んできた軌跡を再認識する事であり、また今後の応用(社会や地域)の元であると、説明ができると思います。
そう意味で、曖昧な「文化(財)」という言葉を、あえて「歴史的文化財」「芸術的文化財」ときちんと区別して考える事で、しっかりとした意識の基礎を作る事ができるのではないかと考えています。
さて、前置きが長くなりましたが、いよいよ本題です。
冒頭でも触れましたが、文化とは、私達が平和で穏やかに生活するにおいて、非常に大切な基礎になりますが、その重要性に気付く事はあまりありません。文化とは「共有」であり、生きる上で全ての根幹を成す「社会風土」でもあります。
日本は長い間、近代社会となってもなお、つい最近まで「家制度」がその中心となり、個人が、一族や血縁を元に結束し、互いを守っていました。
戦国時代もそうです。その名の通り、戦国の世の生活ですので、生死にかかわる保護を「家制度」を中心に求めていました。それについて、摂津池田氏を取り上げて、文化を考えてみたいと思います。もちろん、今は今の文化がある事は良く理解した上で進めます。
摂津池田氏は本姓は藤原で、地名を名乗るようになって、「池田」と称していました。応仁の乱の頃、「充正(みつまさ)」の代で、大いに発展し、中興と考えられています。
池田氏は、その後200年程に渡り成長を続けましたが、勝正の代が独自権力体としては最後の当主です。
私は勝正を中心に前後四代程を見ていますが、特に池田氏が飛躍的に発展したのは、いち早く官僚制を採り入れたことによるものです。
意思決定と実行を別々にしたため、物事の進行が非常に速やかになって、周辺の同規模の国人衆から抜きん出た成長を遂げます。また、その成長過程で人材不足ともなり、必ずしも血縁を伴わない有能な人材を採用するようになります。その中に、荒木家や中川家などがあります。
また、その本拠地の立地も5本の国家的主要道を通し、他にも様々な街道が扇の要のように領内で交差していたため、人や物が集まりやすい環境にありました。
そういった環境もあって、摂津国内では最大級の国人に成長し、キリスト教宣教師ルイス・フロイスの日記には「要すれば軍備の調った一万の軍隊を用意できる。」とも紹介される程に有名で、大きな勢力でした。
しかし、そんな池田氏も滅んでしまいます。それは何であったか。
急成長したために「家中文化」が崩壊したためだと考えています。
これはもう少し詳しく説明しないといけませんが、価値を「共有」するための統治の仕組み(装置)を作り出せず、感覚・感情で物事を判断したためだと考えています。必要な組織化、権力の整理を行えず、時代の要請(意思決定)に応えることができずに、対立を経て、家が滅んでしましました。
また、その過程での決定的な悪要素は、当初は、当主(惣領)の補佐役としての家老(老人(おとな):池田四人衆)が、代を経るにつれて、独自権力化し、当主の選定にあたって対立する程になってしまいます。いわば、二重権力状態でした。
私は勝正という人物は、池田四人衆に擁立された惣領であり、権力はどちらかというと、四人衆側の意向が強く働く実情であったと考えています。傀儡とまでは言えないですが、勝正の代になると、当主を補佐する役目が変化していたと考えられます。
最終的には、四人衆と勝正も対立してしまい、一時的に当主を置かない時代も出現します。それ程に四人衆の権力が強かったと言えます。
しかし、それもうまく行かず、四人衆自体が分裂し、それを以て池田氏は滅びてしまいました。この時、四人衆の中に荒木村重が居り、分裂の原因は池田一族の血と、よそ者の区別が決定的になったものと考えられます。運命共同体ともいえる組織の、文化を共有する装置が無かったための悲劇であると考えています。
翻って、今の私たちも、文化というものが理解されず、作ろうとしなければ、このようにあらゆる場面で、相違・対立が起き、意思統一ができなくなります。
家庭、地域、府県、国など、単位が色々ありますが、文化があるからこその、その善悪の基準ができ、その内側で理解し合ってまとまります。意思形成の共有ができ、平和で穏やかに暮らせ、経済活動もできるのです。
今、移民の問題が世界的に深刻化していますが、文化そのものを理解することをしてこなかったためだろうと思います。地域文化を保持する工夫を打ち出さず、思考の停止状態であり、今、近代社会の概念と価値観を永続させるための分岐点に立っていると、非常に関心を持っています。価値の共有ができず、社会がバラバラになった時、本当に弱い存在である個人はどう生きるでしょう?
その意味で、文化財を大切にしない行為は、心の現れだと考えています。今や自治体(行政)そのものが、率先して歴史的文化財を蔑ろにしている状況です。考えずに、ただ見ているだけです。自治体や行政の意味さえも、もう衰退しつつあります。就職先のひとつみたいなものです。統治力(ガバナンス)が、低下すればどうなるか。無法地帯となります。法律だけで全て統治はできないのです。それは文化による「善悪の判断」が、機能しているから社会が支えられているのです。
個人的には、建国以来、また、太平洋戦争敗戦直後よりも深刻であると感じている程です。これから先は、これまでとは全く違います。
国家観の欠如が、これまでに無い、事件と事故を起こしています。これまでには考えられなかったことが頻発しています。文化はゆっくり壊れています。この先は、更に壊れるでしょう。
文化は簡単に壊れます。組織も簡単に壊れます。例えるなら、胴上げの時、それぞれが役割りを忘れて、手を引っ込めるだけです。一度壊れてしまえば、二度と再生できません。
摂津池田氏の組織変化や権力構造の変化については、詳しく知りたい方は、こちらの資料もご活用下さい。
※用紙サイズはA3ですので、DLいただき、データをコンビニのコピー機で出力しますと、とてもきれいに印刷できます。
【追伸】
【追伸】
【オススメ動画】
◎タムボムニックTV「今 江藤淳みたいな日本人が必要!」2019/05/06 に公開
ニックさんが、運営するユーチューブチャンネルです。タイトルにはありませんが、内容は、文化についてです。日本に住む外国人から見た日本の文化とその先行について、感想を述べてくれています。
大変簡潔に述べられていて、大変参考になります。是非、ご覧下さい。