大阪府池田市に住んだことがきっかけで、摂津国人池田氏の事を調べ始めました。
最初は全くの素人からのスタートでした。私は造形やデザインの勉強をしていましたので、 歴史学というかそちらの分野の事は全くわらないまま、興味だけで進んでいました。
しかし、10年以上もやっていると、活字になった古文書は何とか読めるようになり、 書いてある事の意味も解るようになりました。
そこから見えてきたものは、やはり、最初に感じていた通りで、歴史とは、勝者の 歴史でした。
負けた側の歴史は、勝者に都合よく使われて、それはもう「悲惨」といってもいい くらいです。歴史というものを細かく見ていくと、そういった事も見えてきます。
池田筑後守勝正という人物は、実質的に池田家の最後の当主で、また、同家の最盛期でもありました。そんな、世の中の天と地を経験したような人物ですが、 彼の人生は、あまり知られる事も無く、埋もれたままです。
しかし、彼は非常に話題の豊富な人物で、歴史的な転換点に多数立ち会って います。織田信長との対戦、また、荒木村重や中川清秀を家臣に持ち、高山右近など ともキリスト教を通して、その資料にも現れます。
今も池田勝正の研究を続けていますが、また、機会を見つけて、池田勝正の 人物像を紹介していきたいと思います。
最初は全くの素人からのスタートでした。私は造形やデザインの勉強をしていましたので、 歴史学というかそちらの分野の事は全くわらないまま、興味だけで進んでいました。
しかし、10年以上もやっていると、活字になった古文書は何とか読めるようになり、 書いてある事の意味も解るようになりました。
そこから見えてきたものは、やはり、最初に感じていた通りで、歴史とは、勝者の 歴史でした。
負けた側の歴史は、勝者に都合よく使われて、それはもう「悲惨」といってもいい くらいです。歴史というものを細かく見ていくと、そういった事も見えてきます。
池田筑後守勝正という人物は、実質的に池田家の最後の当主で、また、同家の最盛期でもありました。そんな、世の中の天と地を経験したような人物ですが、 彼の人生は、あまり知られる事も無く、埋もれたままです。
しかし、彼は非常に話題の豊富な人物で、歴史的な転換点に多数立ち会って います。織田信長との対戦、また、荒木村重や中川清秀を家臣に持ち、高山右近など ともキリスト教を通して、その資料にも現れます。
今も池田勝正の研究を続けていますが、また、機会を見つけて、池田勝正の 人物像を紹介していきたいと思います。
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