2026年9月26日土曜日

久しぶりに、摂津の戦国武将池田勝正についての研究発表を行います

来る令和8年(2026)11月8日(13:30〜15:00)、大阪府池田市立市民活動交流センター4階において、池田勝正についての会員研究発表を行います。

主題:荒木村重も踏襲した戦国大名池田勝正の播磨国への関与について
副題:特に永禄12年(1569)の播磨出陣を考える

上記の内容で行いますので、ご興味のある方は奮ってご参集下さい。一般聴講は資料代として500円で参加できます。
 なお、この企画は、城郭研究家の木内内則さんとのコラボで、翌年(令和9)2月に、勝正の播磨出陣で落とした(関連する)城についても詳しく説明がありますので、こちらも是非ご参加下さい。11月の私の資料と併せてご活用下さい。

同会は少々財政難でもありますので、多くの皆様のお越しをお待ちしております。新規会員様も大歓迎です。年会費は破格の3000円で、年一回発行の会報1冊込価格です。

◎池田郷土史学会公式ブログ
https://ikereki.blogspot.com

 

 


2026年9月25日金曜日

吉原忠雄先生による「久安寺阿弥陀如来坐像と市立歴史民俗資料館「摂州細川荘大絵図」について」という考察

『池田郷土研究』第26号に、吉原忠雄先生による「久安寺阿弥陀如来坐像と市立歴史民俗資料館「摂州細川荘大絵図」について」という、同大絵図についての最新の考察が収録されています。その詳しくは、池田郷土史学会から発行されている同書をご覧下さい。

◎摂州細川荘大絵図についての重要な示唆
この寄稿は、仏像研究の観点から絵図を読み解く試みもされており、非常に興味深い内容です。絵図について触れられている部分を抜粋して以下にご紹介してみます。
※池田郷土研究(第26号)「久安寺阿弥陀如来坐像と市立歴史民俗資料館「摂州細川荘大絵図」について」より

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池田市吉田の様子(2025年1月撮影)
細川荘大絵図との関係条:
(前略)ところで、本図は天文年間(1532〜1555)の作と推測され、細川郷の植木業に携わる人々が、その生業の正統性を主張するために拵えた絵図ではないか(注4)とされている。また、安養院を画面中心に描いていることから、絵図を描いた要因が安養院にあるとも見られている(注5)。
 本図が植木業に携わる人々による作成とすれば、大変興味深い。また、安養院が画面の中心に描かれている点については、この絵図は安養院を中心にした長久3年(1042)の絵図をベースにして、天文年間に拵えたと考えられないだろうか。つまり、実際は天文年間に作成した絵図だが、長久3年に細川荘の所有者である近衛院の下司が作成した絵図に、少なくとも約40年前の細川政国(1428〜1495)が署名した絵図であると主張したのであろう。細川政国は約40年前であれば、細川荘の領主として住民に記憶されていたであろう。なお、細川荘の立荘は藤原忠実(1078〜1162)によるのであり、長久頃には成立していないのは明白だが、天文頃の時点では細川荘の成立期を厳密に検証出来なかったのだろう。
 そして安養院には本尊も安置されていたはずである。安養院は阿弥陀の極楽浄土のことで、11世紀をあまり下らないと推定したこの阿弥陀坐像がその本尊であろう。像の制作期の下限を長久3年11月15日とできるが、当初の絵図の作成にごく近い頃ではないだろうか。市指定文化財の増長天立像もその頃であろう。
 ところで、真言宗と浄土教が結びつくのは、高野山の覚鑁(かくばん)上人の働きによるもので、1130年代のことである。11世紀の段階での浄土教は天台浄土教である。したがって、この阿弥陀像は天台浄土教の阿弥陀像であり、久安寺の安養院時代は、天台宗であったと思われる。(後略)
※文中の(注4・5)は原典をご覧下さい。
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とあり、大変興味深く、示唆に富んだ考察がなされています。この「細川荘大絵図」が、天文年間の制作で、その制作者が細川郷の植木業に携わる人々であり、その生業の正統性を主張する目的で拵えたものである可能性を指摘する説を紹介して、更に考察を加えられています。

久安寺山門(2021年3月撮影)
◎摂州細川荘大絵図の基は長久3年に制作された可能性が高い

吉原氏は、「この絵図は安養院を中心にした長久3年(1042)の絵図をベースにして、天文年間に拵えたと考えられないだろうか。(中略)なお、細川荘の立荘は藤原忠実(1078〜1162)によるのであり、長久頃には成立していないのは明白だが、天文頃の時点では細川荘の成立期を厳密に検証出来なかったのだろう。」と一歩踏み込んだ推定もされています。基になる大絵図は、長久3年にあった(実態として存在した)のだろうともお考えのようです。
 なお、元々の絵図は安養院が中心に描かれており、その目的は安養院にあるとも考えられているようです。
 不明な点が多い大絵図ですが、仏像研究の観点から絵図成立の可能性についての考察は、非常に有力な分野(方向性)ではないかと思われます。大絵図の全容解明に向けて、また一歩前進したようです。
 
◎摂州細川荘大絵図はその時代には意義のある絵図
摂州細川荘大絵図について、当初は事実に基づかない「虚構絵図」とまで言われていたのですが、その時代には実在意義のある絵図である事が判明しつつあります。ということは、そこに描かれている「玉性院」などの立派な寺社群は、実在した可能性も高まった訳です。
 近年の研究により、細川郷の植木産業にも関連付けられる現実味も帯びてきました。天文年間は、摂津池田家も更なる成長期であり、摂津国内でも特に勢いのある時期でしたし、その領内(と思われる)にこのような産業を持つ事は、単なる産業を超えた社会的地位を示すものであった事でしょう。
 もちろん、今後の研究が進めば、それよりも植木産業定着時期が遡る可能性も十分にあり得ます。絵図の作成意図が「正統性の主張」であれば、産業定着時期は必然的に天文年間よりも遡る可能性は高いですね。

◎池田市細川地域の可能性が更に高まるか
現在の池田市細川地域は、市域の歴史上も、いや京都・奈良といった当時の中央政治上においても重要なはずですが、細川地域の殆どは調べが進んでいません。そんな中でも、少しずつ同地域の歴史調査が及ぶようになってきているようにも感じます。多くの方々にこういった文化財への関心を持っていただき、地域の宝物を大切に活かした活動の「核」になっていければと願っています。

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長久3年(1042)摂津国豊嶋郡細河荘大絵図(部分) 池田市立歴史民俗資料館所蔵

2026年9月19日土曜日

少し先の話しですが、池田筑後守勝正についてまとめた書籍を出版予定

 25年以上、研究を続けてきた摂津の戦国武将池田筑後守勝正についてまとめた書籍を出版しようと考えています。

私が還暦となる、2030年(令和12)をメドとしており、出版社も決まりましたので、これから準備に取りかかります。

池田勝正については、特に研究者はおらず、かといって中央政治(室町幕府)にも関わった勢力だけに重要な鍵となる動きをしています。その池田家がどのような実態であったのか、散在している史料をつなぎ合わせると、ある程度、枠組みが見えるようになりました。大きな勢力であった為に、史料上で色々なところに現れます。

しかし、それらをつなぎ合わせる事は、そう簡単では無く、その為に誰も手を付けていませんでした。政治・経済、軍事、文化(茶や連歌)、宗教、交通、酒など多くの分野に渡りその活動(記述)が見られます。

研究ノートとして、年代順に史料を並べ、それを特定する事を続けてきました。これからいよいよ、池田勝正(池田家)に直接的な要素を取り出して、それらをつなぎ合わせる作業に入ります。
 基本的には、史料を元にしますが、手がかりとして伝承や歴史遺物、縁故地など、民俗学的な要素も入れ込み、文字間を埋める事で、連続的な意味を持つ証明をしていきたいと考えています。
 ある程度の池田勝正の人物像の枠が出来ることで、また、収斂もされ、その過程で文化財への関心や史料の新たな発掘、近隣国人研究への波及にもつながればと思います。

がんばります。どうぞご期待下さい。



私の研究ノートは、1300頁を超えました。