当時、私が会員であった荒木村重研究会会報に載せるべく、荒木村重が摂津国及び河内北半国も領有(40万石)した事について「荒尾市荒木家に伝わる信長朱印状の一考察」と題して書いた原稿です。結局この原稿はボツになりましたので、多くの皆様の批評を受けたく思い、ネット上に公開する事に致しました。平成22年(2010)秋頃に発行された10号会報用になる筈だった原稿です。また、その後に調べのついた事柄なども若干補足して公開した行く思います。
※今は村重研究会に所属していません。
以下の項目で論を展開しています。
◎序文
◎第一章 天正三年頃までの織田信長の政治
一 基本政策
二 信長の社会的地位
三 経済政策
四 軍事政策
◎第二章 検地について
一 中世の石高と近世の石高の違い
二 指出と検地
三 家数改め
◎第三章 信長の領国統治体制
一 守護と一職支配の関係
二 柴田勝家の場合
◎第四章 織田政権での荒木村重
一 摂津国統一過程と周辺環境
二 村重の河内国との関係
◎おわりに
◎備考
『荒尾市荒木家』の翻刻
※今は村重研究会に所属していません。
以下の項目で論を展開しています。
◎序文
◎第一章 天正三年頃までの織田信長の政治
一 基本政策
二 信長の社会的地位
三 経済政策
四 軍事政策
◎第二章 検地について
一 中世の石高と近世の石高の違い
二 指出と検地
三 家数改め
◎第三章 信長の領国統治体制
一 守護と一職支配の関係
二 柴田勝家の場合
◎第四章 織田政権での荒木村重
一 摂津国統一過程と周辺環境
二 村重の河内国との関係
◎おわりに
◎備考
『荒尾市荒木家』の翻刻
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