2015年2月13日金曜日

白井河原合戦についての研究

白井河原合戦は、京都の中央政権を研究する上でも非常に重要な出来事だと思いますが、地方豪族の私闘のように概念付けされ、どちらかというと、歴史的な位置付けとしては軽んじられている現状にあるかと思います。
 白井河原合戦の何が重要で、どんな事が起きていたかという事を以下にご紹介していきたいと思います。シリーズで書いたものや随筆として書いたものもありますが、それらを以下にまとめます。ご興味のある方は、是非ご一読下さい。
 
<シリーズでの研究>
白井河原合戦に至るまで(その1:合戦中の戦況とその直前の摂津中部地域の状況)
白井河原合戦に至るまで(その2:和田惟政の池田領侵攻の動き)
白井河原合戦に至るまで(その3:合戦の頃の周辺戦況と関連性)
白井河原合戦に至るまで(その4 完結:合戦の意味を考える)

キリシタン武将高山右近と白井河原合戦(その1:日本側に残る資料群)
キリシタン武将高山右近と白井河原合戦(その2:ルイス・フロイスの残した資料について)
キリシタン武将高山右近と白井河原合戦(その3:ルイス・フロイスが残した記録の誤訳部分を確認する)
キリシタン武将高山右近と白井河原合戦(その4:完結)
キリシタン武将高山右近と白井河原合戦(その5:補遺1 (和田惟政が鉄砲隊に銃撃されたのは、宿久庄村付近か))
キリシタン武将高山右近と白井河原合戦(その6:補遺2 (最近の研究結果から白井河原合戦に関する情報を拾い上げてみる))
キリシタン武将高山右近と白井河原合戦(その7:補遺3 (幣久良山とその周辺の要害性について))


<別シリーズで取り上げた一項目として>
三好為三と三好下野守と摂津池田家の関係(その5:白井河原合戦と三好為三を巡る動き)
摂津池田家の領域支配(元亀2年の白井河原合戦についての動きから見る)


<随筆>
【後編】白井河原合戦(1571(元亀2)の摂津郡山合戦)概要
元亀2年の白井河原合戦について
和田惟政、決戦のため幣久良山に陣を取る
白井河原合戦前夜
元亀2年8月28日の白井河原合戦の事
8月29日の白井河原合戦
宣教師ルイス・フロイスの記述に登場する、河内国讃良郡の三箇城
441年前の今日、池田衆が3,000の兵を率いて白井河原へ出陣
旧暦8月28日は、現在のカレンダーでいうと10月13日です。
白井河原合戦にも従軍した藤井加賀守について
佐保城と佐保栗栖山城と白井河原合戦の関係性を考える NEW
『佐保佐保栗栖山砦跡- 国際公園都市特定土地区画整理事業に伴う調査報告書 -』にある「人質」「曲輪1(のみ)の火災跡」について考える  NEW


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