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2021年8月7日土曜日

摂津池田家と忍者について考える

 この要素(忍者)は、非常に難しい判断です。今で言う、スパイやインテリジェンスの概念にもかかるものですが、資料も証拠もほぼ無いので、あったとか、無かったとかいつまでも論争しなければいけません。書き残したものは無く「口伝」であったこと、その意味は、残せば証拠になるからです。そのくらい徹底した、超越的行動と概念だったのです。昔の日本人は、もの凄いです。推し量るには、文字や物的な残欠を集積し、分析するしかありません。

いわゆる忍者について、断片的な手がかりとして、服部半蔵などが、時代によってカタチを変えながら表現されています。これらは「萬川集海(まんせんしゅうかい)」という江戸時代後期、甲賀忍者が膨大な忍術をまとめ、幕府に献上した書物によって僅かにその痕跡を知る事のできた結果でもあります。

「隠密(おんみつ)・忍び」とは、その当代を越えて、未来永劫に渡り、痕跡を残さないという徹底ぶりです。しかしながら、それらの概念は、ほそぼそと受け継がれ、大東亜戦争当時には「陸軍中野学校」の創設につながりました。これは、近代組織組織として人材育成を始めたという意味があり、その根底に概念として、文化的に生き続けており、必要に応じて活用しようとしていたことが、事実として、中野学校在籍者から明らかにされています。
 また、同じような目的で、国家機関として、海外でも、様々なスパイ組織が存在する事から、必要の用として、今もその意義が普遍的に存在します。

さて、戦国時代のこと。摂津国池田家でもそういった概念や必要性は、当然ながら、あったと思います。なぜなら、目の前に敵が見えてから行動してからでは、一家の滅びに直結するからです。また、戦いに勝つにも、勢力を拡大するにも、事前に状況を掴む必要があるからです。その為には、対象に向けて、静かに忍び寄り、観る必要があり、そのための組織や術、時には戦う必要があります。また、最小限の労力で、目的を達成する欲求はあったでしょう。

一方で、現代においても株式投資や経済的な分野では「インサイダー」という言葉で集約された、事前(内部)情報により、不当に利益を出す行為(独占)を法的に規制しています。
 要するに、「情報」には価値があるために、それをどの段階でどのように知るべきか。それそのものを考える事は、有形無形を問わず、最大限に利益を出したいと考える時には当然ながら、発想する自然科学です。

具体的には...。といっても、曖昧でですが、戦国時代の池田城下に「甲賀伊賀守」という家老が池田城下に住んでいたという跡地の記述があります。これは、発掘調査もされず破壊(法的にも規定されていながら)されてしまったので、科学に基づく事実判断ができなくなってしまいましたが、記述としてはあります。また、その地域に古くからお住まいの方々の口伝としても存在(独自に取材)します。
 この記述要素から、一時的に現在の池田で、「忍者が居たのでは?」という話題が盛り上がりました。関連行動としての、滋賀県甲賀市との交流も、これにより実現した程です。
※その甲賀伊賀守なる人物の行動は、その後に判る範囲で調べた記事はこちら(此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察)

忍者とは日本人にとって、興味を持つ人が多くあり、今では、海外の高まりつつあります。また、その研究拠点として、三重大学に忍者の研究を行う学部が設立され、その初代の教授は、忍者の子孫です。今後に期待したいところです。

一方で、その忍者は、身の危急から逃れる為に、独自に戦う術を持っており、それは特別なものだったようです。忍者の絶対的使命は、生きて依頼主や要望者の元に戻り(目的達成)、重要な情報を伝える事ですから、得た情報を絶やす訳にはいきません。必ず持ち戻らなければいけません。

そのために、身につける道具、術、また、絶体絶命の時には、証拠を残さずに確実に死ぬことも使命でした。その中で、現代に伝わる忍びの古武道をご紹介します。

これは、死ぬことを前提としたものは一切排除した、その場を切り抜ける、最終段階の丸腰になって組み合う状況であっても、切り抜けることを考えた古武道です。

 

◎玉虎流宗家 石塚先生 的確に急所を攻める痛すぎる骨指術の世界!