2025年6月7日土曜日

摂津池田城の広大な防御構想について考えるまとめページ

赤色立体地図が映し出す五月山

近年、2002年にアジア航測の千葉達朗氏により考案された、赤色立体地図のおかげで、城郭研究の分野は、飛躍的に研究が進展しています。
 この技術が、奈良文化財研究所のWEBサイトで一般利用が可能となった事で、いつでも、誰でも、山地の地形の可視化技術利用が可能になりました。
 これにより、これまで未認知(または伝承のみで不明)であった城・砦跡が次々と発見されており、私の守備範囲である摂津池田城周辺についても、多大なる恩恵を受けているところです。

一方で、近年は開発スピードが早く、それらも鑑みて、できるだけ早めにその痕跡を確認し、概念化をしておかなければならない状況でもあると考えています。
 逆に、文献の分野は、年々史料の翻刻などが進み、また、新出史料などが公表されるなどして、拡がりと深まりを見せる中で、物理的な城郭発掘分野は、法的・経済的な制約も相まって、破壊が進んでいるのが現状です。

摂津池田城に関する、物理的な城郭発掘分野も、そういった意味では、優先順位を上げて活動しなければならないように考えています。こちらでは摂津池田城とその関連の記事を集めて、ご紹介していきたいと思います。


摂津池田城の縄張り概念は、五月山山上にまで及んでいた!?
摂津池田城の防御体制は、細河郷にも及んでいて現在認識されているよりも非常に広範囲である可能性が高い
現存する摂津国豊嶋郡伏尾村(大阪府池田市伏尾町)に残る砦跡(仮称:伏尾イゴキ砦)
摂津池田の五月山(大阪府池田市)に見られる特徴的な防御施設らしき普請跡。トーチカの原始的なカタチか!?
摂津国豊嶋(現大阪府池田市)・河辺郡(兵庫県川西市)境に存在した可能性のある砦跡を発見か!? 
明智光秀も度々利用した余野街道上に存在した、池田市伏尾町の八幡城が巨大であった可能性について
戦国時代の摂津国池田城と支城の関係を考える
荒木村重の重臣であった瓦林越後守は、池田育ち(生まれ)か!?
戦国時代に池田市木部町にあった木部砦(城)跡 
山の尾根を割り、防御施設にしているかもしれない痕跡

 

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