最前の記事までは、櫻正宗の興りと摂津池田の関係について見てきたのですが、その深い関係性が窺い知れる一要素として、近代の池田における紙面広告から、歴史的な結びつきを考えてみたいと思います。
多くの方がご存じのように、摂津池田は全国有数の酒どころでしたから、外来のメーカーは、よほどの関係性がなければ、池田では活動し難い商環境にあったと思われます。近代という時代ではあっても、やはり過去の慣習が根強く残っています。どこの世界でも「縄張り的意識」はあり、商圏や商習慣、契約関係を無視して商売(仕事)はできません。
一方で、、古くから関係性を保つ信頼関係もあり、それは信用の維持でもあり、双方の利益にも供する社会の営みでもあります。
そういう意味では、商業活動の象徴である紙面広告は、当時の最先端の状況を知ることができます。
大正10年(1921)12月に、池田便覧社から発行された、『池田町便覧』があります。これは池田の町の案内書でありながら、歴史や産業などの概要がまとめられた自治体史編纂に至る先駆け的な、画期的民間活動(出版物)です。正式には「大阪府下池田町便覧附細河村川西村」です。
この『池田町便覧』は、町史と村史を重視しつつ、広告も記述と同量のページが割かれており、当時の池田における産業・商業の状況を詳しく見ることができます。
※池田市役所公式ページ「史料デジタルコレクション」
https://www.city.ikeda.osaka.jp/soshiki/kyoikuiinkai/rekishi/rekishi/shiryou/index.html
その中に、「サクラ正宗愛用料亭及び販売店」との見出しで、町内各店名が上げられた広告があります。池田南新町にあった、ミヤコ商店が櫻正宗の取扱店で、その実績を示した広告です。
紙面広告から、池田での櫻正宗の取り扱い店がとても多いことに驚きます。この池田町便覧が発行された大正10年は、池田郷で隆盛を極めた酒造家の「万願寺屋」が営業を終えて、産業の新旧が入れ替わりつつあった時代でもありました。
池田郷は、近隣各村と比べて大きな町でしたが、大きいと言っても現代のような規模ではなく、まだまだ閉鎖的な気風もあった時代に、外来酒造商品でありながらこれ程の取扱量があったというのは、これまでの特別な関係があっての事と考えられます。もちろん、地元酒造家の広告(例えば、今もある吉田酒造の「緑一」)もありますが、広告の視点からすると櫻正宗の優勢を感じます。業界の後発組は、広告宣伝に力を入れる傾向にはあるが...。例えば、伏見酒の黄桜や宝酒造など。
この販売実績で訴求する広告は、今も用いられますが、具体的な取扱店を掲載してある事で、今となっては、資料的な価値もあります。
一方で、商品・製造者の認知度を高める目的の、商品広告も櫻正宗は、同時に掲載しています。
近代時代の広告からの見知は、今のところ「池田町便覧」に限っていますが、また他にも発見しましたら、随時、記事に追加したく思います。
この池田町便覧は、この後の、『池田町史』発行につながる先駆的な取り組みで、編集・発行のための費用を捻出するために「広告」を活用したのだろうと思います。地域の民間活動として、このような企画をし、その賛同を得た事は、その背景も含めてカタチにした、素晴らしい取り組みだったと感じます。

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