2016年2月13日土曜日

池田市で埋蔵文化財の破壊が続く事について (その2:歴史研究が進む中で期待される地域史)

最近、中世時代の研究が進んで様々な分野の解明成果が発表されています。中世は社会が乱れ、移動も少なからずあり、また、戦乱で史料が亡くなっており、まとまった史料がありません。それ故に断片的で散在する史料の検証は進みませんでした。
 このために勝者側の比較的まとまった史料だけが研究対象となってしまい、実際にその権力を支えた地域の人々の実態は埋もれていました。
 しかし、その両方を比較検討する事で、その当時の実像が明らかになりつつあります。これは科学的歴史を継承する観点では、大変なレベルアップです。これまではやや推定を含む感情的・創作的な傾向が強かったため、誤解も多くありました。
 そういった研究が進むにつれて、地域史は大変重要度を増し、注目される環境にあります。地域史は、その地域にとってもより良い発展のための基礎データともなり、また、旧社会制度の解明にも役立ち、より広域の様々な分野に対する研究にも役立っています。それは、日本国内だけではなく、世界規模に及ぶ事もしばしばです。一地域の歴史ではあるのですが、それは「世界共通概念」が凝縮された歴史でもあるのです。

そんな中にあって、地域の歴史はやはり、地域の人々にしか見えて来ない性質がある事を知らなければなりません。その地域に住まなければ、やはりその地域の事はわかりません。逆にいえば、大きな世界の答えが、小さな地域の出来事と相対していることも多くあるのです。地域史は大きな可能性を秘めていると感じています。
 しかしながら、現代は移り変わりが、急すぎる程急です。山も川も丘も、あっという間に変形し、消滅します。こういう現代だからこそ、なお、地域史の発展の基礎は、その地域の人々の目と志しが重要となっているのです。なにしろ、地域の核となるべき人(住民)も、移動が当たり前の時代ですから。

かく言う、この私もそうなのですから。地域史という分野は、風前の灯なのかもしれません。





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