2011年5月12日木曜日

池田家中の荒木村重

最近は、荒木村重の知名度が上がってきたようです。インターネット上の検索では、それについての記述が非常に増えています。
 しかし、現実的には、知らない人も多多いようですね。やはり、謎の部分が多いため、正式な取り上げられ方があまりされないからなのかもしれません。
 織田信長関係の何かのストーリーに取り上げられたとしても、「ちょい出」程度の露出です。

村重は、池田勝正を研究する上では、重要な人物で、村重の史料の中に解明のヒントが多くあります。というか、それも含めて観て行かないと地域的な動きが解らないのが実際のところです。

史料から見ると、村重が勝正の重臣であった事は間違いありません。家中政治の中で、その始動期から勝正政権とも言える勢力を支えていたと思われます。また、よく村重について流布される「下克上」とのニュアンスは、個人的にそれに当たらないと思っています。
 下克上とは、「成り上がり」や「成金」のように、あまりいい意味では無い印象を受けるのですが、詳しくその経緯を見ると村重は、家政の対立に競り勝っただけです。それも、その出世過程では、合意もあって組織の幹部となっていきます。要するに中枢から起用されて、正当な出世をします。ですので、「交代」といった言葉の方が、ふさわしいように思います。

個人的には、言葉の持つ意味とは別に持つイメージで、違和感を持つものがいくつかあるのですが、「下克上」という言葉もその一つです。使用する側の意図や偏見、悪意を込めた時に使う傾向があるように思います。その意味では、「蜜月」という言葉もキライです。

脱線しました。また追々、荒木村重の事もご紹介していきたいと思います。

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