2019年8月22日木曜日

何と!米原正義先生がお使いの史料を入手。

ネットで「蔭凉軒日録」を購入しました。これは単なる購買行動で、説明にその事があった訳ではありません。ただ、鉛筆による線引き多数とありました。ですので、全巻揃いのわりには、お買い得な価格でした。

米原正義先生宛の音信ハガキ
数日後、それらが手元に届き、状態の確認とか、史料の具合を見ていました。確かに鉛筆の線引きが沢山あり、「随分研究熱心な人だな」と思って見ていました。付箋も沢山付いていました。パラパラとページをめくっていましたら、ハガキが挟んでありました。崩し字だったこともあって、あまりよく見ずに、ゴミ箱へ一旦捨てました。
 しかし、古そうなハガキで、ハガキ1枚が40円の時代です。何となく気になって、宛名を見ると「米原正義」とありました。あれ、見覚えのある名前。誰だったかな...。暫くして、戦国史研究の大先生である事を思い出し、裏に書いてある通信内容を読んでみました。確かに歴史史料に関する事が書かれています。同名別人ではありません。確かに國學院大學名誉教授の米原先生です。

こんなことがあるんですね。驚きました。それを知って、もう一度、史料を確認してみると、そりゃそんな先生の史料なんだから、最初の私の印象も当然ですね。
 どんな風に、研究されているのかと思い、線引きされている様子を見ていました。やっぱり私の方法と同じ、史料中から人物の行動を具に追い、それを抜き出して他の動きと照合する。これをどのくらい精緻に行うか。それしか、研究の方法は無いようです。少し嬉しかったです。私は誰に教えて貰った訳では無いのですが、手探りでやっていただけに、その方法があながち間違いでは無かったこと。

無数の線引があり、重要部分は赤線
最近、本当に文化財の破壊が激しく、また、保護や活用の最前線にいる人の深層認識(自治体の担当者や委員)に触れ、非常に杜撰(ずさん)であること。それを改善しようともしない現実を目の当たりしに、少々めげていたところもあった中での出来事です。
 それも、見つけたハガキの日付にとても近い日に史料を受け取り(同じ日だったらドラマチックだったけど...)、何だか暑中見舞いを受けたようなタイミングでした。

写真のように、もの凄く沢山の線引きがあるので、消しゴムで消しています。何年ぶりに消しゴムをこんなに使うだろう。消さずに、先生の情報を活用すればいいのですが、やっぱりこれ程に沢山あると、私の視点が定まらず、少し邪魔になりますので、消したいと思います。後で消せるように鉛筆で書かれているのも、そういう配慮だと思います。私は私の視点で、史料上の要素を追いたいと思います。

それにしても驚きました。本当に驚きました。もの凄く希なご縁だと思います。これからも私の研究を頑張ります。

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