仕事でちょこちょこと京都にも行くのですが、交差点を渡る時にふと思いました。
「ナビだ」と。
東西南北を把握し、通りと筋の名前がわかれば、いつでも自分の位置が把握できます。学校でも習った碁盤の目の都市づくりですね。
こんな仕組みが千年以上前からあったとは、凄いな〜、と、ふと感じました。学生時代、旭川に住んでいたのですが、ここも碁盤目の町づくりです。札幌もです。住んでいる人も外から来た人も直ぐに把握できて便利だったのですが、その事を忘れていました。
そして自分の頭の中は直ぐに勝正の時代にタイムスリップします。
代々の当主もそうですが、池田勝正は摂津守護職を任された人物でもあり、それらの当主と同じく勝正も京都に屋敷を持っていたと考えられます。 当時の人々も、ずっと、この「碁盤の目」システムを享受してきたわけです。
京都には、今もその概念が残っていて、町づくりの中心になっています。当たり前〜、すぎる事なのかもしれませんが、何だか妙〜に歴史を実感しました。
それでは感動の写真をどうぞ。
◎摂津池田の個人的郷土研究サイト:呉江舎(ごこうしゃ)
「ナビだ」と。
東西南北を把握し、通りと筋の名前がわかれば、いつでも自分の位置が把握できます。学校でも習った碁盤の目の都市づくりですね。
こんな仕組みが千年以上前からあったとは、凄いな〜、と、ふと感じました。学生時代、旭川に住んでいたのですが、ここも碁盤目の町づくりです。札幌もです。住んでいる人も外から来た人も直ぐに把握できて便利だったのですが、その事を忘れていました。
そして自分の頭の中は直ぐに勝正の時代にタイムスリップします。
代々の当主もそうですが、池田勝正は摂津守護職を任された人物でもあり、それらの当主と同じく勝正も京都に屋敷を持っていたと考えられます。 当時の人々も、ずっと、この「碁盤の目」システムを享受してきたわけです。
京都には、今もその概念が残っていて、町づくりの中心になっています。当たり前〜、すぎる事なのかもしれませんが、何だか妙〜に歴史を実感しました。
それでは感動の写真をどうぞ。
◎摂津池田の個人的郷土研究サイト:呉江舎(ごこうしゃ)
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