2010年1月20日水曜日

奈良市油阪東町の草鞋山 西方寺

平成12年(2000)当時の表門
奈良市油阪東町に草鞋山西方寺というお寺があります。非常に古い由緒を持つお寺で、大変趣のある古刹です。
 その西方寺は、池田勝正に縁があるお寺で、松永久秀と三好三人衆が激しく争った永禄10年、勝正は三好三人衆方として、松永久秀の本拠地である奈良へ進攻します。
 5月17日、久秀の居城奈良多聞城を攻めるため、三好三人衆方は、奈良の市街周縁部に陣を取ります。勝正はこの時多聞城の南にある砦、宿院城のすぐ西側一丁程のところにあった西方寺に陣を取りました。三好三人衆勢としては、最も敵に近い最前線でした。
 翌日の18日夜、勝正は宿院城に夜襲を敢行します。しかし、守備が堅く失敗します。この時、下村重介なる人物が戦死します。重介は、100人程を束ねる足軽大将であったと『多聞院日記』に、伝聞情報として記述されています。
 下村氏については詳しくは解らないのですが、今の池田市木部あたり出身の有力者なのかもしれません。この辺りには、館城のような施設があったとも伝わっています。

西方寺には、その当時からの山門などが残り、大変興味深いお寺です。付近には、東大寺はもちろん神社仏閣など多数の史跡があり、戦国ファンの方が訪れても楽しめるところだと思います。地形や空気感など、その場に立って始めて解る要素が沢山あります。
 もちろん、奈良のおいしいものも沢山ありますので、好奇心・触覚・お腹などなど、じっくりと楽しめます。

「奈良市油阪にある草鞋山西方寺と池田勝正 」と題して、新しい記事を掲載しました。どうぞご覧下さい。
 

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