戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
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社寺_池田_高野山真言宗_久安寺
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2023年5月21日日曜日
摂津国人池田信正が、天文16年に摂津国榎並庄にあった大金剛院(赤川寺)の「大般若経六百巻」を同国豊嶋郡の久安寺に寄進した事についての考察
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偶然の出会いであった、大坂本願寺五十一支城の一つとされている伝葱生(なぎう)城を調べる内に、その付近にあった赤川寺と摂津池田家との関わりが浮かび上がり、これまた電撃的な、嬉しい出会いとなった事、非常に驚いています。 赤川寺にしても葱生城にしても、両要素は摂津国榎並庄にあります。...
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2022年8月15日月曜日
摂津国池田の地域権力と社寺などの宗教勢力について、あれこれ思索(備忘録)
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自分の中の考えの整理、備忘録として、あれこれと雑感を書いてみます。 先月、20年ぶりくらいに、勝竜寺城(京都府長岡京市)を訪ねました。新たな発掘成果などを元に、復元遺構などがあって、大変興味深く見学させていただきました。中でも、長岡京市の市制50周年事業(2020年)として、勝...
2021年6月5日土曜日
摂津池田家は、楠木正成の血統を継いでいたのか!?伊居太神社社宝の置手拭型兜鉢の意味を考える
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郷土史家の中岡嘉弘氏の蔵書の中から、久安寺に関する非売品の書籍『摂津の国 細河の莊 久安寺ものがたり』を読ませていただいたことがキッカケで、これまで繋がらなかった線が沢山、繋がりました。国の重要文化財ともなっている楼門からしても、相当な勢力と財力であったことは確かだったのですが...
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2020年3月8日日曜日
明智光秀も度々利用した余野街道上に存在した、池田市伏尾町の八幡城が巨大であった可能性について
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現在の池田市伏尾町にあった八幡城について、詳細は判っていないのですが、その城が巨大であった可能性を考えている方がいます。 池田郷土史学会会員の岩垣 正氏による調査で、縄張り図が描かれ、それによる全容想定図も描かれています。氏は学生時代に日本画を専攻され、それ故にこのよう...
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