戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2025年6月25日水曜日
新出の「織田信長から細川六郎(昭元)へ宛てられた朱印状」が発行された、摂津池田家と細川六郎と三好為三の動き
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永禄7年の三好長慶没後、まだ若年だった後継者義継を支える目的で、「三好三人衆」なる家中の有力者が官僚機構を中心として家を支える方策を打ち出しました。それまでにも、内政機関のようなものは、あったようですが、長慶の巨大な存在感と求心力を維持するために、特に意識して組織されたようです。...
2025年6月14日土曜日
山の尾根を割り、防御施設にしているかもしれない痕跡
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赤色立体地図を見ていると、尾根の形状で気になる所が多々あります。尾根を割って歩きづらくしているような形状があります。地質がそのようになっていて、風雨で自然に崩れたのかとも考えたのですが、それだと周辺でも起こる筈ですが、特にそれに似たような状況も見当たらない。 一方で、後世に人為...
2025年6月7日土曜日
摂津池田城の広大な防御構想について考えるまとめページ
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赤色立体地図が映し出す五月山 近年、2002年にアジア航測の千葉達朗氏により考案された、赤色立体地図のおかげで、城郭研究の分野は、飛躍的に研究が進展しています。 この技術が、 奈良文化財研究所のWEBサイト で一般利用が可能となった事で、いつでも、誰でも、山地の地形の可視化技術...
現存する摂津国豊嶋郡伏尾村(大阪府池田市伏尾町)に残る砦跡(仮称:伏尾イゴキ砦)
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摂津国豊嶋郡伏尾村は、細河郷内にあり、平野部と山地の結節点にもあたります。いわば「出入口」で、非常に重要な立地です。また、ここは郡の境目(河辺・豊島郡)でもあり、その境目に沿って「妙見街道」が通るという、交通の要衝でもありあました。 ここより北側の、丹波国や摂津国能勢郡といった...
2025年6月3日火曜日
摂津池田の五月山(大阪府池田市)に見られる特徴的な防御施設らしき普請跡。トーチカの原始的なカタチか!?
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摂津池田城は、その背後が山で、この山を取られると、城内を俯瞰されることとなってしまい、城の「弱点」との通説が、特に検証される事なく、永年に渡り順送りとなっていました。しかしながら、この要素は、軍事面の知識では素人の私でさえも、戦いのプロフェッショナルであった武士集団の本拠が、何の...
2025年5月31日土曜日
摂津池田城の防御体制は、細河郷にも及んでいて現在認識されているよりも非常に広範囲である可能性が高い
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細川六郎(昭元)と摂津池田氏についての関係性「 元亀元年8月付け細川六郎への信長朱印状 」をまとめていた途中で、脱線してしまい、池田の城郭の分野へ入り込んでしまいました。 言い訳をさせていただきますと、山の中の城跡は、冬期のみの限定された調査になってしまう事から、そちらへ注力し...
2025年5月5日月曜日
摂津国豊嶋(現大阪府池田市)・河辺郡(兵庫県川西市)境に存在した可能性のある砦跡を発見か!?
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兵庫県川西市1丁目16から大阪府池田市古江町1にかけて見られる人工物の一部で、これは堀跡と思われます。高さは4〜5メートルほどあります。堀らしき写真は、赤色立体地図の赤色丸印内、矢印の方向から撮影しています。 この辺り、戦国時代には特に重要な要所でした。地形的には、ほぼ東西に伸び...
2025年2月28日金曜日
摂津の有力国人池田氏が、摂津国豊嶋郡細河庄に合法的な進出が成ったと考えられる史料
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現大阪府池田市の細河地域に古代寺院が存在した事について、摂津の豪族池田氏の史料を見直していましたら、判断の指標になりそうな重要な記述(史料)に気づきました。池田氏が摂津国豊嶋郡細河庄に合法的な進出が成ったと考えられる、史料です。 これは、権大外記で左大臣の鷹司家家来であった中原...
2025年2月26日水曜日
長久3年(1042)に描かれた、摂津国豊嶋郡細河庄に存在した古代寺院跡(玉性院?)を発見か!?
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非常に興味深い遺跡を発見したかもしれません。平安時代頃に存在したとされる、大規模寺院の跡が、今も残っていました。(これから更に調査を続けます。) 大阪府池田市に伝わる細河庄境界絵図(長久3年:1042)について、これまでは、想像の範囲で、あまり確認もされていなかった(池田市教育...
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