戦国大名池田勝正研究所

世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ

2026年7月26日日曜日

荒木村重の重臣でもあった摂津国人北河原氏(与作)について考える

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摂津国と河内国北半分を領した戦国大名荒木村重の重臣として活動していたとみられる北河原氏は、あまり資料が無く、個人的にも気になっていた人物(一族)です。その本拠地は川辺郡の伊丹城のすぐ北側にあった北河原村と考えられています。 ※兵庫県の地名1(平凡社)P410 明治42年(1909...
2026年7月21日火曜日

摂津国豊嶋郡大広寺(大阪府池田市綾羽2丁目)の変遷を見ると画期は三度ある

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摂津名所図会に紹介されている大広寺 摂津国豊嶋郡大広寺は、同国内で最大級の国人で、戦国大名で成長した池田氏の菩提寺として、応永2年(1395)に創建されています。天嵓(岩)禅師の開基です。先ず概要をご紹介します。 ※大阪府全誌3(清文堂出版)P1106 -------------...
2026年6月16日火曜日

割と最近まで、大阪では「そうは、桑名の焼き蛤」とは言わず、「ドッコイそうは、左専道の不動」と言っていた。大阪市城東区諏訪1丁目にある左専道不動尊(三友寺)の歴史

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明暦元年(1655)大坂三郷町絵図 (大阪歴史博物館所蔵) 近年、急速に街の姿を変えつつあります。私は、この大阪市城東区諏訪1丁目で生まれ育ちました。その頃は、昭和時代の末であり、まだまだ文化の変容速度も遅く、人の移動も小規模であったので、それ以前の町並み、地域の精神文化も残って...
2026年6月4日木曜日

近代の紙面広告(池田町便覧)から摂津池田と櫻正宗の関係をみる

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最前の記事までは、櫻正宗の興りと摂津池田の関係について見てきたのですが、その深い関係性が窺い知れる一要素として、近代の池田における紙面広告から、歴史的な結びつきを考えてみたいと思います。  多くの方がご存じのように、摂津池田は全国有数の酒どころでしたから、外来のメーカーは、よほど...
2026年4月6日月曜日

摂津国河辺郡多田院領であった摂津国善源寺庄(大阪市都島区善源寺町)について

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明治40年(1907)まで、この地にあった善源寺は、大阪市西区本田へ移転し、今はその跡地になっています。(同じ系譜なのかは不明)しかし、その寺名を冠する地名になる程の古刹で、奈良時代の行基建立寺院の一つと伝わっています。また、沢上江村には法皇山母恩寺があり、後白河法皇が、母待賢門...
2026年3月31日火曜日

摂津国豊嶋郡に所在する久安寺の伝総門が存在した可能性は高い

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応永年間(1394-1427)に大修理された楼門 非売品で、流通していない書籍『久安寺ものがたり』には、久安寺に伝わる逸話がまとめられています。同書は、ご住職であった故国司禎相さんが、後世への引き継ぎとして、既知の限りを尽くしてまとめられています。  そこには、非常に重要な事柄が...
2026年3月19日木曜日

池田市にある五月山愛宕神社は、摂津池田城の関連施設である可能性が非常に高い

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大阪府池田市の五月山頂上にある愛宕神社(綾羽2丁目)の地は、摂津池田城の関連施設であった可能性が非常に高いと思われます。この愛宕社の由緒などについては、公的には以下のように記述されています。 ※新修 池田市史5(民俗編)P135 ----------------- 摂津名所図絵に...
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柏床宜宏
東大阪市, 大阪府, Japan
池田勝正は、摂津国豊島郡池田(現池田市)にて戦国時代後期に生きた人物です。その時代頃の資料には散見されます。しかし、これまで、誰も彼について研究した人はいませんでした。  実は、京都の中央政治の命運も左右する程の拠点的勢力で、非常に重要な役割りと位置づけにありました。あの、織田信長や幕府とも直接的に関係を持った、戦国大名です。私は、池田勝正の生涯を研究しています。  なおウィキペディア(Wikipedia)の池田勝正の項目は私が書いたものではありません。ツイッター:@katsumasa2016
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