戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2024年10月30日水曜日
やはり、摂津池田家当主となった勝正は、先代の長正の嫡子(息子)ではなく、別の家系!
›
いま連載中の「 元亀元年8月付け細川六郎への信長朱印状 」テーマに懸かる史料を調べ直しているのですが、その過程で発想があり、少し脱線です。 これまでにも、何度かそれについてお伝えしていたのですが、確たる証拠がなく、また、池田勝正の先代の長正の資料が非常に少なかったこともあって...
2024年10月5日土曜日
細川六郎と三好三人衆(元亀元年8月付け細川六郎への信長朱印状)
›
京都の中央政権を支えた阿波国に縁を持つ三好家が、三好長慶を筆頭に、歴代最大の版図を築くに至ります。しかし、永禄7年(1564)7月、その三好長慶は失意の内に亡くなります。 その後、間もなく三好長慶を支えた一族家老・重臣同士の争いに発展し、結局は京都周辺に威勢を誇った三好氏も没落...
2024年9月23日月曜日
併せて見るべき関連性の高い史料(元亀元年8月付け細川六郎への信長朱印状)
›
令和6年(2024)8月14日頃に報道された、新出の歴史史料、織田信長から細川六郎(昭元)へ宛てられた朱印状(以下、元亀元年8月付け細川六郎への信長朱印状)について、その史料と併せて見るべき関連史料群をご紹介したいと思います。 これにより、元亀元年8月付け細川六郎への信長朱印状の...
2024年9月14日土曜日
新出の「織田信長から細川六郎(昭元)へ宛てられた朱印状」が発行された、元亀元年当時の戦況
›
元亀元年8月付で発行された、織田信長から細川六郎(昭元)宛の新発見史料が、どんな状況で作成されたのかを見てみます。元亀元年は、西暦にすると1570年ですが、同年4月23日に改元があり、「元亀」と改まりました。 また、この改元は、有名な越前朝倉・近江浅井氏攻めの最中に行われ、また...
2024年9月11日水曜日
令和6年(2024)8月14日頃に報道された、新出の「織田信長から細川六郎(昭元)へ宛てられた朱印状」について
›
はじめに 令和6年(2024)8月14日頃に報道されました、新出の歴史史料、織田信長から細川六郎(昭元)へ宛てられた朱印状について、そこに摂津池田家の事も記述がありました。 この史料の意味やこの時の状況について検討してみたいと思います。以下の翻刻から、いくつかの要素ごとに説明...
2024年8月14日水曜日
丹波八上城に存在する「芥丸」(伝芥川某の持場)という気になる曲輪について
›
摂津池田家を見る上で、やはり、丹波国の雄「波多野氏」の観察は欠かせません。 摂津池田郷は、多くの街道(西国街道・能勢街道・余野街道・中山道・高山道・高山道・有馬道・尼崎伊丹道・篠山街道)を通し、篠山方面を始め、複数本の主要街道が池田から北方向へ繋がっています。故に池田郷は丹波国...
2024年7月26日金曜日
また一人、素晴らしい先生に出合いました。『世界史の中の戦国大名』を読んで
›
『世界史の中の戦国大名』との出合いは、ユーチューブチャンネルでみた、同書の書評からでした。 ◎キリシタン大名の振る舞いから考える~「グローバル化」しても失ってはいけないものとは何か?|『世界史の中の戦国大名』鹿毛敏夫(講談社現代新書)|@kunojun|久野潤チャンネル 私は永...
2024年7月8日月曜日
摂津池田家中の対外血縁関係
›
気になっていたことを、備忘録として、また、自分の頭の中の整理として記事にしておきたいと思います。 どの氏族でもそうですが、一族内に様々な系譜を持ちます。長い歴史の中で主従関係も変わりますし、政治・経済・軍事など、様々な状況により、生き残りを計るための対外的な血縁関係を結ぶようにな...
2024年6月29日土曜日
松永久秀が、幕府政所伊勢貞助などへ宛てた新出史料の特別公開を展覧して
›
令和6年(2024)6月15日から、高槻しろあと歴史館にて、最近発見された松永久秀書状の展示が行われましたので、見てきました。 その書状は欠年史料でしたが、同館により、天文22年(1553)のものと比定されており、私も内容からして間違いの無い見立てだと思います。 年記以下は、7...
2024年6月7日金曜日
摂津池田家惣領池田筑後守長正についてのまとめページ
›
池田長正という武将は、摂津国人で池田家の惣領となった人物ですが、時の資料(史料)が少なく、あっても断片的で、不明な点が多くあります。 しかし、その長正の代で、後に池田家中から頭角を現す武将荒木村重の歴史的背景も明確にできる示唆があり、また、畿内地域でも有数の勢力であった池田家中...
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示