戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
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城_摂津国_原田城
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2023年4月29日土曜日
『佐保佐保栗栖山砦跡- 国際公園都市特定土地区画整理事業に伴う調査報告書 -』にある「人質」「曲輪1(のみ)の火災跡」について考える
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摂津佐保城と同佐保栗栖山城について詳しく見る中で、その調査報告書には、非常に気になる指摘がされていました。個人的にも永年興味を持っていた中世の民俗学的なところであり、発掘調査報告書にも述べられている「人質」や、14ある曲輪の内、主たる構成要素であるものの曲輪1のみが火災を被った...
2022年8月13日土曜日
摂津原田城についてのご紹介(城主(土豪)とともに城館の変遷がわかる遺構としては大変貴重)
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16世紀後半の推定復元図 摂津国豊嶋郡内にあった、原田城について、詳しく取り上げていなかった事に今さら気付き、先ずは記事を作った次第です。 それについて、豊中市教育委員会発行の『原田城跡(豊中市指定史跡)・旧羽室家住宅(国登録有形文化財)』という案内パンフレットが、非常に端的に...
2015年2月11日水曜日
摂津池田家の領域支配(元亀2年の白井河原合戦についての動きから見る)
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今も戦国時代も「お金」です。それのみで社会は構成されていませんが、やっぱりお金は、生活する上で重要な要素である事は、現代社会と同じです。ただ、戦国時代と現代との違いは、問題解決に武力行使を含めて解決するかどうか、です。 そんなお金の事について、摂津池田家が、どのように収入を...
2014年3月15日土曜日
摂津原田氏とその城について考える(その1:元亀4年以前の摂津国原田城について)
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原田城は池田氏の本拠地である摂津国豊嶋郡の中南部にあって、非常に重要な地域でした。そしてここには重要な街道も多くあり、また、その西側には猪名川、南側には神崎川も流れていて、それらの川は郡境で、原田は「境」に囲まれた地域でもありました。 さて、少し史料上に出てくる原田城を見て...
2013年10月17日木曜日
キリシタン武将高山右近と白井河原合戦(その1:日本側に残る資料群)
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摂津国豊能郡高山村出身とされる高山右近は、非常に有名でありながら、謎の多い武将でもあります。 荒木村重の家臣となり、有力な武将となる以前については、詳しく判っていません。そんな高山右近が、元亀2年8月28日に行われた白井河原合戦とそこに至る活動に関わっている事が、キリスト教...
2 件のコメント:
2012年2月15日水曜日
摂津原田氏とその城について考える(はじめに)
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摂津国の有力国人であった池田氏と、関係の深い同国の 豪族原田氏 、そして、その原田氏の居城であった 原田城 については、中々資料がありませんね。 幸い、豊中市の教育委員会が原田城の発掘を続けてくれているので、そういった報告書が発行されるたびに、考古学の観点から進展しているよ...
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