戦国大名池田勝正研究所

世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ

2019年12月27日金曜日

池田市綾羽にある伊居太神社と摂津池田氏について

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既述の記事「 戦国時代の摂津国池田氏に関わる寺社 」からの抜粋です。また、関連する地域も同様に抜粋します。池田市綾羽にある伊居太神社について、再度、考えてみたいと思います。近日に池田市と尼崎市の伊居太神社も訪ね、追加記事も掲載します。 ◎伊居太神社:いけだじんじゃ(池田市綾...
2019年8月25日日曜日

此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察(戦国武将甲賀谷長正という人物像の輪郭)

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今のところ、甲賀谷又左衛門尉正長についての直接的な史料は限定的ですが、様々な断片的資料を集めてみると、旧池田(荒木)家中の人々の動きから推測もできるように思えます。今現在、甲賀谷正長について判っていることから、以下にまとめてみたいと思います。 摂津池田の伝家老屋敷位置(...

此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察(戦いの無い平和な時代の池田と甲賀谷氏を考える)

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図1:元禄期の酒屋・炭屋の分布図 池田も伊丹も尼崎も、戦いの無くなった世で、復興を遂げていきます。その過程で池田は満願寺屋を中心とした酒造業が隆盛し、一大産業化して町の復興を牽引します。池田酒は、その品質がもてはやされ、江戸でもブランドとなっていきます。池田酒について以...

此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察(摂津池田出身の甲賀谷氏の出自が武士であったであった可能性)

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池田家中(若しくは荒木家中)にあった甲賀谷正長も、その流れの中で、自身の役割りと能力を生かして活動していたと思われます。甲賀谷氏と深い繫がりがあると考えられる「甲賀伊賀守」についての記述を参考までにご紹介しておきます。 ※北摂池田 -町並調査報告書-(池田市教育委員会 197...
2019年8月24日土曜日

此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察(伝法(大阪市此花区)について)

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正長自身が法名を「正蓮」と名乗り、それが寺号となっている正蓮寺は、現在此花区伝法にありますが、正長とは何の関係も無いところに建てられるはずがありません。これ程までに経済的に、心情的に支援できるからには、相当に強い結びつきがあったのではないかと考えられます。その「伝法」という場所...

此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察(瑞光山 本養寺(大阪府池田市)について)

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日蓮宗(法華)の特徴は、主に町屋と町衆を布教対象としていたため、周辺地域の拠点的特徴も持っていた池田に、日蓮宗の布教拠点(寺院)があったのも、それは自然なことと言えるのかもしれません。以下、池田の本養寺について、ご紹介します。 ※大阪府の地名1(平凡社)P316 (資料2...

此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察(海照山 正蓮寺(此花区伝法)について)

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前回は、大尭山長遠寺(現尼崎市)を中心に、甲賀谷正長と池田のつながりについて、考えてみたのですが、今回は特に、日蓮(法華)宗系の池田やその周辺の関係寺院に範囲を拡げて調べてみました。先ずは、大阪市此花区にある正蓮寺についてです。 ※伝法 正蓮寺発行の『正蓮寺概史』より (...

此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察(はじめに)

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「 摂津国河辺郡の大尭山長遠寺(現尼崎市)を再建した甲賀谷正長は、摂津池田の出身者か!? 」の記事に続いて、同じテーマでもう少し調べを深くしてみました。この記事の中心である、甲賀谷又左衛門尉正長についてですが、その行動からして、日蓮宗(法華)への信仰を深くしている人物である事が...
2019年8月22日木曜日

何と!米原正義先生がお使いの史料を入手。

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ネットで「蔭凉軒日録」を購入しました。これは単なる購買行動で、説明にその事があった訳ではありません。ただ、鉛筆による線引き多数とありました。ですので、全巻揃いのわりには、お買い得な価格でした。 米原正義先生宛の音信ハガキ 数日後、それらが手元に届き、状態の確認と...
2019年7月7日日曜日

前田利家、佐々成政などの武将も陣を取った摂津太田城と太田氏について考えてみる

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摂津太田城については、不明な事が今も多いようです。発掘も殆ど行われずに破壊されてしまった事と、文献があまり無いところから進展が図れないようです。摂津池田氏もそうですが、散見される手がかりを集めて、そこから推量することから始めないとダメなのでしょうね。  ネットでザッと調べてみ...
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柏床宜宏
東大阪市, 大阪府, Japan
池田勝正は、摂津国豊島郡池田(現池田市)にて戦国時代後期に生きた人物です。その時代頃の資料には散見されます。しかし、これまで、誰も彼について研究した人はいませんでした。  実は、京都の中央政治の命運も左右する程の拠点的勢力で、非常に重要な役割りと位置づけにありました。あの、織田信長や幕府とも直接的に関係を持った、戦国大名です。私は、池田勝正の生涯を研究しています。  なおウィキペディア(Wikipedia)の池田勝正の項目は私が書いたものではありません。ツイッター:@katsumasa2016
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