2019年8月24日土曜日

此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察(海照山 正蓮寺(此花区伝法)について)

前回は、大尭山長遠寺(現尼崎市)を中心に、甲賀谷正長と池田のつながりについて、考えてみたのですが、今回は特に、日蓮(法華)宗系の池田やその周辺の関係寺院に範囲を拡げて調べてみました。先ずは、大阪市此花区にある正蓮寺についてです。
※伝法 正蓮寺発行の『正蓮寺概史』より

(資料1)-----------------------
【正蓮寺略縁起】
寛永2年(1625)篤信の武家、甲賀谷又左衛門が、毎夜海中にて光を発するものを見つけ、網を入れたところ、お木像が上がって来たので、邸内にお祀りしていました。たまたま京都から来られた修行僧、唯性院日泉上人がこれを御覧になり、間違い無く日蓮大聖人の御尊像であることを認められました。そこで、日泉上人を開山とし又左衛門を開基として、大方の協力を得て建てた草庵が、今の正蓮寺のおこりであります。寺号の正蓮寺は、甲賀谷又左衛門の予修(よしゅ:生前に、自分の死後の冥福 (めいふく) のために仏事をすること。)、正蓮日宝禅定門より、また山号の海照山は、御尊像が海を照らした事から名付けられたものであります。
 大阪の代表寺院25ヶ寺の内に数えられた正蓮寺は、惟うに権門の庇護に依り建立された寺ではなく、土着の一無名人の発願にて創立された庶民的な寺院であります。創建以来来伝燈絶えずして信徒参集し、寺門興隆して現在は第26世を踏襲するに至っております。
第7世 寂行院 日解上人墓
【伝法の川施餓鬼】
享保6年(1721)、当山第7世、寂行院日解上人は、日蓮大聖人が海中にて衆生済度せられた功徳を継承せんとて、川供養の行事をはじめられたのが、いまの伝法の川施餓鬼であります。創始以来、正蓮寺川に棚を作り色々な供物をして、有無両縁の万霊を供養して参りました。摂津名所図絵に記されている様に、数百曳の船団で参拝者が群集したしました。地元の伝法・高見・四貫島の各家では、遠近より親類縁者を招いて精霊をお祀りし、法要の後は各船団は棚を片付けて船遊びに興じてお祭り騒ぎになるのが常でした。陸では数百の露店が賑わい、名物の枝豆・竹ごま・焼鳥屋などが繁昌し、全く天神祭をしのぐ程の盛大な大阪の夏を締めくくる行事でした。夕刻、船団も引き揚げ露店も終わる頃には涼風も吹く時期でもあり、「暑い夏には天神祭、あついあついも施餓鬼まで」と、今日までの夏の風物詩として語り継がれ親しまれて参りました。古来より仏法経典の渡来した最初の浜とも云われる伝法の地であります。仏事が盛大に行われて来たのも当然のことと思われます。昭和46年には、川施餓鬼創始250年の記念大法要を厳修いたしました。殊に現在は、区内に奉賛会が組織され、更には浪速全般に亘る参拝会の活躍は、誠に有り難いことでもあります。ただ、昭和42年頃より正蓮寺川の汚濁が甚だしくなった為、川渡御は新淀川に移すことになりました。平成26年度に「正蓮寺の川施餓鬼」として大阪市指定無形民俗文化財に指定されました。
-----------------------(資料1おわり)

正蓮寺さんに直接尋ねたところ、水害などで寺の文書などが流出してしまい、石仏など一部の遺物や口伝しか残っていないとの事で、今のところ、これ以上の直接的な手がかりはありません。

さて、上記の略縁起中の記述について、少し注目しておきたいと思います。甲賀谷正長は「武家」と伝わっており、やはり池田での伝承記述『穴織宮拾要記 末』にある甲賀伊賀守に系譜を持つ人物の可能性が高いように思われます。
摂津池田の伝家老屋敷位置(道路は元禄10年絵図による)
また、「たまたま京都から来られた修行僧、唯性院日泉上人がこれを御覧になり、間違い無く日蓮大聖人の御尊像であることを認められました。」との件について、池田城下には本養寺という日蓮(法華)宗のお寺があります。室町時代の創建で、近衛家ともつながり、京都の大寺院である本圀寺から開山の住持を迎えています。
 甲賀谷正長が、池田の本養寺を通じて日蓮(法華)宗に接していたのなら、京都から来た唯性院日泉上人とも接点はあるでしょう。ですので、この正蓮寺縁起中の話しの環境は、時代の事実に沿って、概ね整っています。
 それから、「毎夜海中にて光を発するものを見つけ、網を入れたところ、お木像が上がって来たので、邸内にお祀りしていました。」の記述は、池田に海はありませんので、他のどこかでの出来事でしょう。邸内とは、池田の屋敷かもしれませんが、判別不明です。しかし、いつも身近なところに海があり、夜に起こる現象を度々見ることができるのですから、その辺りに定住するなどしていた可能性が窺えます。いくつかの屋敷を持っていたのかもしれません。
 後に延べますが、甲賀谷正長は、武士としての経験を活かした政治的活動や運送、酒造に関わる生業で、移動することが多かったのではないかと今のところ推定しています。


海照山 正蓮寺
〒554-0002 大阪府大阪市此花区伝法6丁目4−4





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