戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
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管領_細川昭元(六郎)
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2024年10月5日土曜日
細川六郎と三好三人衆(元亀元年8月付け細川六郎への信長朱印状)
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京都の中央政権を支えた阿波国に縁を持つ三好家が、三好長慶を筆頭に、歴代最大の版図を築くに至ります。しかし、永禄7年(1564)7月、その三好長慶は失意の内に亡くなります。 その後、間もなく三好長慶を支えた一族家老・重臣同士の争いに発展し、結局は京都周辺に威勢を誇った三好氏も没落...
2024年9月23日月曜日
併せて見るべき関連性の高い史料(元亀元年8月付け細川六郎への信長朱印状)
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令和6年(2024)8月14日頃に報道された、新出の歴史史料、織田信長から細川六郎(昭元)へ宛てられた朱印状(以下、元亀元年8月付け細川六郎への信長朱印状)について、その史料と併せて見るべき関連史料群をご紹介したいと思います。 これにより、元亀元年8月付け細川六郎への信長朱印状の...
2024年9月14日土曜日
新出の「織田信長から細川六郎(昭元)へ宛てられた朱印状」が発行された、元亀元年当時の戦況
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元亀元年8月付で発行された、織田信長から細川六郎(昭元)宛の新発見史料が、どんな状況で作成されたのかを見てみます。元亀元年は、西暦にすると1570年ですが、同年4月23日に改元があり、「元亀」と改まりました。 また、この改元は、有名な越前朝倉・近江浅井氏攻めの最中に行われ、また...
2024年9月11日水曜日
令和6年(2024)8月14日頃に報道された、新出の「織田信長から細川六郎(昭元)へ宛てられた朱印状」について
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はじめに 令和6年(2024)8月14日頃に報道されました、新出の歴史史料、織田信長から細川六郎(昭元)へ宛てられた朱印状について、そこに摂津池田家の事も記述がありました。 この史料の意味やこの時の状況について検討してみたいと思います。以下の翻刻から、いくつかの要素ごとに説明...
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