戦国大名池田勝正研究所

世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ

ラベル 研究_1568年(永禄11)秋の足利義昭上洛戦と池田城 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 研究_1568年(永禄11)秋の足利義昭上洛戦と池田城 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
2015年10月8日木曜日

永禄11年の足利義昭上洛戦と摂津池田城(その1:なぜこの上洛戦が永禄11年秋だったのか)

›
織田信長が、足利義昭の上洛要請に応じて京都を制した事は、多くの方々がご存知の事と思います。  尾張国内の統一、また、美濃・伊勢・近江国内の要所の制圧、若しくは影響下に置き、その上で京都侵攻への具体的な絞り込みを行いました。同時に、京都周辺での協力勢力の連絡と取り込みも行い、信...
2012年5月6日日曜日

永禄11年の足利義昭上洛戦と摂津池田城(はじめに)

›
永禄11年秋、足利義昭を奉じた織田信長が、みごとに上洛を果たしたことは、日本史上ではあまりに有名な出来事です。  しっかりと周辺状況を分析し、勝算を立てた上での戦略と戦術は、それまでの他の武将とは大きく違いました。多少の無理があったとしても、致命的な要素では無く、計算と準備が...
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示

自己紹介

自分の写真
柏床宜宏
東大阪市, 大阪府, Japan
池田勝正は、摂津国豊島郡池田(現池田市)にて戦国時代後期に生きた人物です。その時代頃の資料には散見されます。しかし、これまで、誰も彼について研究した人はいませんでした。  実は、京都の中央政治の命運も左右する程の拠点的勢力で、非常に重要な役割りと位置づけにありました。あの、織田信長や幕府とも直接的に関係を持った、戦国大名です。私は、池田勝正の生涯を研究しています。  なおウィキペディア(Wikipedia)の池田勝正の項目は私が書いたものではありません。ツイッター:@katsumasa2016
詳細プロフィールを表示
Powered by Blogger.