戦国大名池田勝正研究所

世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ

ラベル 研究_池田勝正の権力構造 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 研究_池田勝正の権力構造 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
2024年10月30日水曜日

やはり、摂津池田家当主となった勝正は、先代の長正の嫡子(息子)ではなく、別の家系!

›
 いま連載中の「 元亀元年8月付け細川六郎への信長朱印状 」テーマに懸かる史料を調べ直しているのですが、その過程で発想があり、少し脱線です。  これまでにも、何度かそれについてお伝えしていたのですが、確たる証拠がなく、また、池田勝正の先代の長正の資料が非常に少なかったこともあって...
2018年6月9日土曜日

戦国武将池田勝正の権力構造

›
摂津国最大級の国人であった池田衆の惣領、池田筑後守勝正について、永年研究をしているのですが、最近になって何となく気づいた事があり、急に勝正像の輪郭が出てくるようになったような気がします。 その結論を先に言うと、勝正はそれまでの惣領の権力とは異なり、家老(官僚)であった池田四...
4 件のコメント:
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示

自己紹介

自分の写真
柏床宜宏
東大阪市, 大阪府, Japan
池田勝正は、摂津国豊島郡池田(現池田市)にて戦国時代後期に生きた人物です。その時代頃の資料には散見されます。しかし、これまで、誰も彼について研究した人はいませんでした。  実は、京都の中央政治の命運も左右する程の拠点的勢力で、非常に重要な役割りと位置づけにありました。あの、織田信長や幕府とも直接的に関係を持った、戦国大名です。私は、池田勝正の生涯を研究しています。  なおウィキペディア(Wikipedia)の池田勝正の項目は私が書いたものではありません。ツイッター:@katsumasa2016
詳細プロフィールを表示
Powered by Blogger.