戦国大名池田勝正研究所

世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ

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2013年3月18日月曜日

天正5年4月6日、織田信長方荒木村重、播磨国人原右京進宿所へ宛てて音信

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小野市史第4巻 史料編の380ページに、興味深い史料があります。 この時は織田信長方であったであろう荒木村重が、播磨国人と思われる原右京進の宿所へ宛てて音信しています。 内容は、 -------------------------------- 存分安河(不明な人物...
2013年2月28日木曜日

天正3年9月18日、長雲軒妙相、河内国人安見新七郎宿所へ宛てて音信す

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名古屋大学文学部国史研究室の所有する史料が『中世鋳物師史料』として発刊されています。 同史料に含まれる書状に、年欠9月18日付けで、長雲軒妙相なる人物が、河内国人安見新七郎宿所へ宛てたものがあります。この安見氏は、河内国守護代の家系で、この新七郎はその当主にあたる人物です。...
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柏床宜宏
東大阪市, 大阪府, Japan
池田勝正は、摂津国豊島郡池田(現池田市)にて戦国時代後期に生きた人物です。その時代頃の資料には散見されます。しかし、これまで、誰も彼について研究した人はいませんでした。  実は、京都の中央政治の命運も左右する程の拠点的勢力で、非常に重要な役割りと位置づけにありました。あの、織田信長や幕府とも直接的に関係を持った、戦国大名です。私は、池田勝正の生涯を研究しています。  なおウィキペディア(Wikipedia)の池田勝正の項目は私が書いたものではありません。ツイッター:@katsumasa2016
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