戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
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城_摂津国_池田城_支城_木部城
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2016年5月20日金曜日
摂津池田城の縄張り概念は、五月山山上にまで及んでいた!?
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戦国大名池田筑後守勝正研究の核心である、勝正そのものの事実や家の事、また、その本拠たる池田城の事をしっかりとご紹介する事をそろそろしないといけません。 摂津池田氏については、滅びた家だけに、総合的な検証もなければ、史料も無いため、これまでは、史料集めを兼ねたその外郭部分を見...
2016年5月3日火曜日
摂津国豊嶋郡細河郷と戦国時代の池田(細河庄内の木部村と武将下村氏について)
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摂津国豊島郡細川郷(庄)内の下村氏は、同郡内から成長を遂げた戦国領主池田氏に早い時期から被官化していたと考えられる。 実際にはもっと早くから確認できるのかもしれないが、筆者が池田勝正の活動に主眼を置き、その活動を追っている関係で、享禄2年(1529)から天正7年(1579)...
2016年4月9日土曜日
戦国時代の摂津国池田城と支城の関係を考える
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どこで、どのように確認すれば良いのかわからないまま、個人的には「城」というのは、軍事・政治的に展開するためには、本城と支城で構成されている事が、必要不可欠であったと考えています。更に踏み込んだ言い方をすると、「郡」単位を支配領域に持つ、いわゆる戦国領主にとっても、それは当然の原...
2016年3月20日日曜日
摂津国豊嶋郡細河郷と戦国時代の池田(はじめに)
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古江橋を経て多田へ続く道(1970年頃か) 政治的問題を解決するため、武力行使が一般化していた戦国時代には、摂津国豊嶋郡細河庄(郷)は、摂津国人池田氏にとっても重要な地域でした。 しかし、そういう場所でありながら、研究や解明がほとんど進んでいません。今も池田市域内は...
2014年6月28日土曜日
戦国時代に池田市木部町にあった木部砦(城)跡
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久しぶりに更新します。ちょっと時間が無くて、テーマの途中で止まったままですいません。まとまった時間が取れないので、思索を深める事ができず、まだまとまっていません。残りは必ずアップしますので、もう少々お待ち下さい。 それで、今回はその償いという訳ではないのですが、池田市の木部...
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