戦国大名池田勝正研究所

世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ

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2025年9月25日木曜日

摂津国欠郡中嶋にあった城について考える(大阪市淀川区編)

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大正時代初期:伝法付近の大浦渡の様子 いわゆる戦国時代ころ、摂津国欠郡中嶋という所は京都を首都とした国家体制において、非常に重要な場所でした。  現在は淀川区に東西淀川区で構成された一つの大きな島ですが、これは江戸時代からの営々と続けられた開拓の姿で、戦国時代には、大小の島が浮か...
2024年10月5日土曜日

細川六郎と三好三人衆(元亀元年8月付け細川六郎への信長朱印状)

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京都の中央政権を支えた阿波国に縁を持つ三好家が、三好長慶を筆頭に、歴代最大の版図を築くに至ります。しかし、永禄7年(1564)7月、その三好長慶は失意の内に亡くなります。  その後、間もなく三好長慶を支えた一族家老・重臣同士の争いに発展し、結局は京都周辺に威勢を誇った三好氏も没落...
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柏床宜宏
東大阪市, 大阪府, Japan
池田勝正は、摂津国豊島郡池田(現池田市)にて戦国時代後期に生きた人物です。その時代頃の資料には散見されます。しかし、これまで、誰も彼について研究した人はいませんでした。  実は、京都の中央政治の命運も左右する程の拠点的勢力で、非常に重要な役割りと位置づけにありました。あの、織田信長や幕府とも直接的に関係を持った、戦国大名です。私は、池田勝正の生涯を研究しています。  なおウィキペディア(Wikipedia)の池田勝正の項目は私が書いたものではありません。ツイッター:@katsumasa2016
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