戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2024年5月18日土曜日
豊後竹田の中川家の家老となった、摂津武士の戸伏氏について
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ちょっと気になっているのですが、あまり深く調べる事も無く、時間が過ぎてしまいました。最近また気になり、備忘録として記事にしておきます。 現在は静かな町外れの住宅地ともなっている、大阪府茨木市戸伏町の集落ですが、戦国時代、この村出身の武士がいたようです。 元々は、永禄9年に、池田勝...
2024年5月17日金曜日
摂津国人池田長正は、最終的に「筑後守」を名乗って惣領となっている証拠史料
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史料が少いのですが、池田家政の画期の一つ、また、荒木村重の出自の一部が明確になる人物としても、池田長正の事跡を追うことは非常に重要です。 この長正という人物は、池田勝正の先代であり、池田家の波瀾万丈の悲劇の中心人物であった当主池田信正の次の代にあたります。 この信正の死後、池田...
2024年5月15日水曜日
摂津国芥川に関係の深いいくつかの系譜の芥川氏について、馬部先生のお見立て
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摂津池田家を見る上で、池田長正という人物は非常に重要な人物です。この長正の代で、池田家の発展の伸び代が芽生え、また反面、同族争いもしています。それから、この長正の代で、荒木村重につながる丹波出身の荒木氏が重く取り立てられます。 池田長正は、残された史料が断片的で、知りたい所の肝心...
2024年5月10日金曜日
天正年間初期に、荒木村重が勧請した摂津古曽部日吉神社(大阪府高槻市)について
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荒木村重についての発見やそれに関連する池田長正につながる大きな発見があったので、備忘録的に、記事にしておきたいと思います。後日、しっかり検証して、レポートとして書き直します。 この5月の連休に、ちょっとブラブラしようと思い、永年気になっていた高槻市の上宮天満宮周辺を見て回ろうと計...
2 件のコメント:
2024年4月11日木曜日
『荒牧郷土史』に記録された「酒造」と荒牧屋について
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昭和から平成に元号が変わり、世も変わろうとする頃、それまでの地域の軌跡を記録しておこうとする動きも、各地でみらます。その取組は、今となっては大変貴重な取組でした。 『荒牧郷土史』は、非常に念入りな構成で、市史や県史と同様の知見をまとめた非常に価値の高い内容となっています。中でも...
2024年4月9日火曜日
浅井・朝倉攻めと池田勝正 -この戦いが池田家の分裂を招いた-(内訌直前、池田勝正が守護役(えき)として中嶋城の普請を行う)
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この項目は「諸役負担、軍事負担、一部の権利返上」の補足である。同頁を併せて読んでいただきたい。この補足を行う事で、守護職を任じられる名誉と引き換えの苛烈な負担が池田家へ課されていたことが更にお分かり頂けると思う。 状況としては、越前国守護朝倉氏攻めの結果、噂通りに近江国浅井家の...
2024年1月4日木曜日
河内国若江郡長田村の八幡宮
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河内国箕輪村(現東大阪市箕輪)と同じ若江郡に属する長田(現同市長田)にも鎌倉幕府により地頭が置かれたようだとしています。この幕府による地頭の設置がキッカケで、同地にはそれぞれ八幡宮を祀るようになったのではないかと思われます。開幕した源頼朝は、八幡信仰者で、京都の石清水八幡宮を鎌倉...
2024年1月1日月曜日
河内国若江郡(東大阪市)古箕輪集落の中心部は島だった!?
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紫色部分は先に干拓 前々から気になっていた事を、この度、まとめておきたいと思います。史料上の検討を経て、大和川付替え前の古箕輪集落の自然立地環境について、考えてみます。それらの検討については「はじめに」の各項目からご覧下さい。 過去記事の中の加納村の項目で、周辺地域を見た通り、...
2023年12月31日日曜日
東大阪市(河内国)古箕輪集落の北側で隣接する加納村について考える
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明治41年(1908)測量の地図 河内国の「加納村」は若江郡に属し、同郡北限の村です。加納村は、箕輪新田村(現古箕輪)の北側に隣接する村でもあります。この間に「川田」集落がありますが、大和川付替え前には恐らく存在せず、その頃は小さな島だったと思われます。 現在、秋の祭礼日には「...
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