戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2024年4月11日木曜日
『荒牧郷土史』に記録された「酒造」と荒牧屋について
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昭和から平成に元号が変わり、世も変わろうとする頃、それまでの地域の軌跡を記録しておこうとする動きも、各地でみらます。その取組は、今となっては大変貴重な取組でした。 『荒牧郷土史』は、非常に念入りな構成で、市史や県史と同様の知見をまとめた非常に価値の高い内容となっています。中でも...
2024年4月9日火曜日
浅井・朝倉攻めと池田勝正 -この戦いが池田家の分裂を招いた-(内訌直前、池田勝正が守護役(えき)として中嶋城の普請を行う)
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この項目は「諸役負担、軍事負担、一部の権利返上」の補足である。同頁を併せて読んでいただきたい。この補足を行う事で、守護職を任じられる名誉と引き換えの苛烈な負担が池田家へ課されていたことが更にお分かり頂けると思う。 状況としては、越前国守護朝倉氏攻めの結果、噂通りに近江国浅井家の...
2024年1月4日木曜日
河内国若江郡長田村の八幡宮
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河内国箕輪村(現東大阪市箕輪)と同じ若江郡に属する長田(現同市長田)にも鎌倉幕府により地頭が置かれたようだとしています。この幕府による地頭の設置がキッカケで、同地にはそれぞれ八幡宮を祀るようになったのではないかと思われます。開幕した源頼朝は、八幡信仰者で、京都の石清水八幡宮を鎌倉...
2024年1月1日月曜日
河内国若江郡(東大阪市)古箕輪集落の中心部は島だった!?
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紫色部分は先に干拓 前々から気になっていた事を、この度、まとめておきたいと思います。史料上の検討を経て、大和川付替え前の古箕輪集落の自然立地環境について、考えてみます。それらの検討については「はじめに」の各項目からご覧下さい。 過去記事の中の加納村の項目で、周辺地域を見た通り、...
2023年12月31日日曜日
東大阪市(河内国)古箕輪集落の北側で隣接する加納村について考える
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明治41年(1908)測量の地図 河内国の「加納村」は若江郡に属し、同郡北限の村です。加納村は、箕輪新田村(現古箕輪)の北側に隣接する村でもあります。この間に「川田」集落がありますが、大和川付替え前には恐らく存在せず、その頃は小さな島だったと思われます。 現在、秋の祭礼日には「...
2023年12月13日水曜日
河内国若江郡箕輪村・古箕輪村の産土神「八幡宮」についての小考(由来・歴史・ルーツ)
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東大阪市の中北部地域にある古箕輪には、産土神として「八幡宮」があります。そこに神社がある理由は、村の歴史そのもので、古箕輪集落になぜ「八幡宮」社なのか、少し気になりましたので調べてみました。本来、人々は神社(寺)に寄り合い、決め事をしていました。大変身近で、なくてはならない存在で...
東大阪市箕輪・古箕輪にある八幡宮のルーツを考えてみる(はじめに )
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神社は集落の歴史そのものです。なぜ、その村には、その神様が祀られているのか、今となっては、それらの由来は忘れられつつあるように思います。 生活と共に信仰があり、大切にされてきた、人々の精神や心の拠としての神社です。 私の住む土地の神様は、なぜ「八幡宮」なのか。それについて調べた...
2023年11月25日土曜日
池田勝正が敵前逃亡したとされる、永禄12年(1569)正月の京都六条本圀寺合戦の真実
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ネットや歴史系の書籍を見ても未だに、永禄12年(1569)正月の京都本圀寺合戦時の池田勝正について、コピーペーストが後を絶えません。後世の伝記『荒木略記』や『中川氏御年譜撰集』などを元にした一次史料を元にしないものを参考にしているからです。 ネットでは、コピーペーストの量産で、い...
2023年11月21日火曜日
摂津国河辺郡にあった次屋城(現兵庫県尼崎市次屋)についての考察
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偶然に通りかかって、それから気になって調べてみました。潮江などについては、池田勝正研究の関係で、時代的な流れだけは、ザッと知っていました。しかし、それ程の関心を持っていた訳ではありませんでした。通りかかった事で、急に思い出し、急に興味を持ちました。備忘録的にちょっと、次屋城の項目...
2023年10月26日木曜日
摂津国河辺郡荒牧村周辺の酒造りを見る
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荒牧村の周辺でも酒造りをしている地域があるので、その資料をあげてみます。有馬街道も含め、同じ郡内で平野部の場所を偏見で選びました。兵庫県の地名からです。 ※兵庫県の地名1(日本歴史地名大系29) ---(資料10)---------------------------------...
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