戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2023年3月18日土曜日
灘酒 櫻正宗と正蓮寺・摂津池田の関係(はじめに)
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ユーチューブのコンテンツは、様々な情報があり、森羅万象何でもあるように思います。何でもない、いつもの風景から地元情報、昔の話し、陸・海・空・宇宙、世界中、時空も超え、何でもあります。そんな中で思うのは、結局、それは自分の限界に気付きます。知っているモノしか選べない。 まだAI(エ...
櫻正宗との運命の出会いと驚きの偶然
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本当に何の脈絡も無く、ユーチューブ内での動画候補に上がっていたコンテンツをクリックしたのがキッカケでした。 その動画に、私にとっては、もの凄い情報が収められていました。私の調べている、池田酒史・郷土史に関する濃密情報でした。『メタボのオッサンの唄』さんのチャンネルにある「【小林...
摂津池田城家老の存在
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摂津池田の伝家老屋敷位置 摂津池田家から台頭した荒木村重が摂津国守護職として有岡城主となり、摂津国内を治めていた頃、池田城家老として、5人の名が池田に伝わっています。 ※北摂池田 -町並調査報告書-(池田市教育委員会 1979年3月発行)P31(『穴織宮拾要記 末』) ---(資...
摂津国河辺郡荒牧村について
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少し話しは戻って、荒牧村について見てみます。 ※兵庫県の地名1(日本歴史地名大系29)P429 ---(資料6)---------------------------------------------- ◎荒牧村(伊丹市荒牧1-7丁目、荒牧、荻野7-8丁目、荻野) 鴻池村の北に...
荒牧屋(山邑家)と池田城家老職系譜を持つ上月政重は同郷
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先述の通り、上月重政のルーツの地が荒牧村であり、そこに住まう山邑氏とは当然ながら古い縁故関係があって、元禄・寛永年間という日本国内の経済復興期に、家業飛躍の好機を甲賀谷正長に求めたのだろうと思われます。この頃、めぼしい酒造地がほとんど無く、池田郷は、江戸積の下り酒を独占していまし...
寛永2年に荒牧屋(櫻正宗の前身)が創業した頃を考える
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1625年に山邑家は、酒造業界へ新たな参入をした画期だったのかもしれません。創醸とはいえ、正蓮寺とのエピソードを考えると、それ以前から酒造りは行われており、品質と量の確保ができるレベルであったからこそ、正蓮寺開創に多量の酒を提供できたものと思われます。 元禄年間過ぎ頃まで、酒造...
元禄年間の全国的な好景気と江戸での下り酒のブランド化
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元禄時代は、全国的に好景気に沸き、文化面でも復興期でした。当時の日本の政都であった江戸では、関西で醸造される酒の旨さからブランド化し、「下り酒」がもてはやされました。池田や伊丹の酒が銘酒として、引く手数多でした。 「摂泉十二郷の江戸積入津樽数」によると、元禄10年(1697)の...
江戸送り酒の産地は西宮から灘へ
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より大量に、より早く、を求められる時代の到来と、幕府政策により、江戸時代後半には、江戸積酒造体制の産地構成が変化します。初期の頃は、池田郷が独占状態でしたが、次第に生産地が増えていきます。それらは生産品の輸送に都合がいい、西宮から灘地域にかけて生産地活発になっていきました。 時...
銘酒 櫻正宗、正蓮寺、摂津池田を繋ぐ縁とその歴史
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今回、全く予測もしていなかった事が、動画コンテンツのクリックから結びついたのは、偶然としかいいようがありません。この出会いの中で改めて思うことが色々あります。 前近代という時代は、特に縁故関係により信用を繋ぐという社会でしたので、無関係から接点になる事は、現代社会と比べれば、その...
2023年3月14日火曜日
摂津国河辺郡(現兵庫県川西市)にあった、上津城を考えてみる
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先に紹介した 新田(多田)城について の関連記事です。この上津(うえつ)城は、塩川氏の拠点であった新田(多田)城と対を成す城で、両城の間には、主要道である能勢街道を南北に通しています。 この至近でもあり、豊嶋郡にあった池田城は、発掘調査等から、その発展の過程で最晩年には能勢街道...
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