戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2020年9月29日火曜日
織田信長が使った「天下布武」のハンコから始まった近世と中世の終わり。その意味、意識、社会、城について。
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最近、役所のハンコの廃止について、連日ニュースになっていますが、このハンコについて、織田信長は特別な意味を込めてあらゆる文書に使いました。 しかし、それは大きな意味がありました。ハンコとは何か。署名からハンコに変わった意味。一つの時代が終わり、始まりました。また、社会の仕組み、...
大河ドラマ『麒麟がくる』の隙間を愉しむ企画 第二十五回「羽運ぶ蟻(あり)」
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予告しました、大河ドラマの脇道を愉しむ企画ですが、タイトルを考えてみました。今後はこのタイトルで、週一回のペースでお届けできればと思います。 大河ドラマ『麒麟がくる』の隙間を愉しむ企画 池田筑後守勝正さん、いらっしゃ〜い!どうぞどうぞ。 これにより、多くの皆さまに、池田の長い歴史...
2020年5月6日水曜日
戦国時代に河内国河内郡豊浦村に移住した鯰江氏一派、中村孫四郎代官屋敷跡(現東大阪市豊浦町)について
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枚岡中央公園にある中村代官屋敷跡碑 前から気になっていたので、東大阪市豊浦町にある「中村孫四郎代官屋敷跡」を訪ねてみました。今は市民の憩いの場、普通の公園になっています。自転車でブラブラ、出かけてみました。行きは上り坂で息も上がり気味ですが、帰りは下り坂で、風を受け...
2020年5月4日月曜日
摂津国池田に田地を寄進した河内国豪族恩智左近とその一族・城などについて考える
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最近、池田勝正の生きた時代から少し枠(時代)を拡げて、色々な事物を見ています。その中で、摂津国池田の寿命寺へ田地寄進状を下した、恩智左近や足利尊氏について、ちょっと興味を持っています。その興味の行きつく先は、細河庄の大寺院、久安寺でもあります。 恩智城跡公園 この記...
2020年3月8日日曜日
明智光秀も度々利用した余野街道上に存在した、池田市伏尾町の八幡城が巨大であった可能性について
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現在の池田市伏尾町にあった八幡城について、詳細は判っていないのですが、その城が巨大であった可能性を考えている方がいます。 池田郷土史学会会員の岩垣 正氏による調査で、縄張り図が描かれ、それによる全容想定図も描かれています。氏は学生時代に日本画を専攻され、それ故にこのよう...
2019年12月27日金曜日
池田市綾羽にある伊居太神社と摂津池田氏について
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既述の記事「 戦国時代の摂津国池田氏に関わる寺社 」からの抜粋です。また、関連する地域も同様に抜粋します。池田市綾羽にある伊居太神社について、再度、考えてみたいと思います。近日に池田市と尼崎市の伊居太神社も訪ね、追加記事も掲載します。 ◎伊居太神社:いけだじんじゃ(池田市綾...
2019年8月25日日曜日
此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察(戦国武将甲賀谷長正という人物像の輪郭)
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今のところ、甲賀谷又左衛門尉正長についての直接的な史料は限定的ですが、様々な断片的資料を集めてみると、旧池田(荒木)家中の人々の動きから推測もできるように思えます。今現在、甲賀谷正長について判っていることから、以下にまとめてみたいと思います。 摂津池田の伝家老屋敷位置(...
此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察(戦いの無い平和な時代の池田と甲賀谷氏を考える)
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図1:元禄期の酒屋・炭屋の分布図 池田も伊丹も尼崎も、戦いの無くなった世で、復興を遂げていきます。その過程で池田は満願寺屋を中心とした酒造業が隆盛し、一大産業化して町の復興を牽引します。池田酒は、その品質がもてはやされ、江戸でもブランドとなっていきます。池田酒について以...
此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察(摂津池田出身の甲賀谷氏の出自が武士であったであった可能性)
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池田家中(若しくは荒木家中)にあった甲賀谷正長も、その流れの中で、自身の役割りと能力を生かして活動していたと思われます。甲賀谷氏と深い繫がりがあると考えられる「甲賀伊賀守」についての記述を参考までにご紹介しておきます。 ※北摂池田 -町並調査報告書-(池田市教育委員会 197...
2019年8月24日土曜日
此花区伝法にある正蓮寺創建に関わった甲賀谷氏についての考察(伝法(大阪市此花区)について)
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正長自身が法名を「正蓮」と名乗り、それが寺号となっている正蓮寺は、現在此花区伝法にありますが、正長とは何の関係も無いところに建てられるはずがありません。これ程までに経済的に、心情的に支援できるからには、相当に強い結びつきがあったのではないかと考えられます。その「伝法」という場所...
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