戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2019年6月18日火曜日
中之坊文書に署名している播磨国人らしき藤田橘介重綱について
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年欠の『中之坊文書』について、これまでにも何度か、本ブログにて紹介しているところですが、この文書は摂津池田家の歴史を見る上で、非常に重要な文書の一つです。しかし、そこに署名している人物の出自が不明なところがあって、まだまだ課題の多い史料でもあります。 そんな中、意図せず、ツ...
2019年6月5日水曜日
天正6年(1578)秋、摂津・丹波国境と明智光秀・荒木村重・池田勝正のこと
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明治期の地図(+-+-+線が県境であり旧国境) 1576年(天正4)初頭、丹波国内の最大勢力であった波多野秀治の、織田信長政権離叛により明智光秀は、丹波国平定を目前にして、敗走します。この時、光秀は、現兵庫県三田(さんだ)市を通り、池田を経て、京都へ戻ったようです。 ...
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2019年5月6日月曜日
新しい世、令和の新元号を戴くこと慶賀の至り。今年は皇紀2679年。
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5月1日より、令和の新元号となり、各地で祝賀行事も行われたり、そういったムードになていますね。ただ、年々国家と国民の距離が開くような気もしているのですが、皇居の一般参賀は、たくさんの人が訪れているようですね。 若干、違うかもしれませんが、皇紀2600年を祝う国家行事(祝典)...
2019年4月29日月曜日
藤井寺市の伝統工芸品「小山団扇(こやまうちわ)」は、甲斐武田家臣山本勘介がこの地に伝えた!
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藤の花を見物に、大阪府藤井寺市の紫雲山葛井寺を訪ねました。とてもきれいで、良かったです。桜もいいですが、他の花もいいですね。最近は、あまり藤の花も街中で見かけないので、少し遠くに出かけないといけません。 葛井寺(ふじいでら)の藤の花 葛井寺(ふじいでら)境内 ...
2019年4月28日日曜日
人間は二度死ぬ?平成から令和になる今、考えること。
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平成の役割りを終え、新しい元号になろうとするその時の言葉として、これが相応しいかどうかはわかりませんが、ひとつの世が変わるその時を目前に控え、時間や人間などといった、半ば宗教的な思いを馳せることも、私の中に時々おきます。 とある漁港(泉佐野市)で見かけた光景も、何だかそうい...
2019年2月26日火曜日
新撰組屯所となった京都壬生の八木家は、但馬国守護代八木氏の系譜!?
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先日、梅を見に京都へ行ってきました。その日、壬生の新撰組関連の旧蹟も巡ってきました。昔、幕末に興味を持っていた頃、新撰組の史跡を巡っていましたが、京都の壬生寺周辺には行っていませんでした。大阪の生まれ育ちですので、隣県の京都はスグに行けますが、今回初めての訪問となりました。 ...
2019年1月13日日曜日
文化とは何か - 摂津池田家滅亡から考える(文化形成・権威と権力) -
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近年、世界中で移民や国のあり方に、大きな課題が投げかけられています。地域社会共通の認識といえる「文化」や国境の意味について、改めて考えるようになっています。 技術の発展で、人やモノの移動、通信・金融の交換が容易になり、いわゆるグローバル化が進んだ結果です。 池田勝正...
2019年1月5日土曜日
明智光秀・池田勝正・荒木村重の接点(エピソード)を探る(はじめに)
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2020年の大河ドラマは「明智光秀」が取り上げられますので、それに向けて、池田勝正・荒木村重との接点を取り上げた特集を組んでみたいと思います。 明智光秀は将軍となった足利義昭をその流浪時代から支えた人物で、将軍となった義昭からも信頼を得ていたようです。 義昭が将軍となっ...
2018年10月19日金曜日
【貴重な資料映像】日本陸軍 最前線の中隊本部の様子
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ユーチューブを見ていて見つけました。中国大陸での実際の中隊本部の様子です。この映像の解説には、「中支那派遣軍第11軍。最前線の中隊本部の様子。生々しいドキュメンタリー。」と短くあります。 刻々と変わる様子を把握しながら、必要な手立てを講じるために、控えている将校に次々と...
2018年10月17日水曜日
明智光秀・池田勝正・荒木村重の接点(エピソード)を探る(越前朝倉氏攻めと「金ケ崎の退き口」)
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元亀元年(1570)春、幕府・織田信長の軍勢は、天皇からも勅許をもらい、官軍(皇軍)として越前朝倉氏を攻めたのは、大変有名です。 実際の攻める目的は、以下の複合的な要素を一気に解決する、非常に考え抜かれた行動でした。 (1)若狭武藤氏討伐 (2)若狭武田氏の守...
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