戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2016年7月8日金曜日
摂津池田家が滅びた理由
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池田勝正を中心に、20年程、摂津池田家の歴史を調べていると、同家がなぜ滅びたのかがわかったような気がします。一つの要素で、また、一人だけがその原因を作った訳ではないのですが、その中でも、最も重要な要素があるように思います。 詳しい分析は、また後日に「 摂津池田家の支配体制 ...
2016年6月29日水曜日
戦国武将の戦い方
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政治問題の解決方法の一つとして、武力による解決が日常的に行われていた戦国時代、武士は常に「戦い」の研究を行って、備えを怠りませんでした。そんな内乱の時代、摂津国豊嶋郡を本拠とする池田氏も、武士として度々戦場へ出ています。 軍勢を出し、互いに想定した場所が合戦場になり、戦...
2016年6月24日金曜日
池田知正の他にも見られる、山脇系池田氏の人物について
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先日ご紹介した、「 池田勝正の跡職を継いだ、知正は山脇系池田氏か!? 」の項目ですが、以前から気になっていた事とも結びついて、知正の他にも、細河郷東山の山脇系池田氏らしき人物が存在する可能性に気づきました。 この事は、近日公開予定の「細河庄内の東山村と武将山脇氏について」で...
2016年6月17日金曜日
古典『信長記』を読んで繫がる過去と現代、そして未来!
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古文書や古典を読んでいると、現代にも通じる出来事や感覚、言葉を随所に見かけ、ハッとすることがあります。そんな時は親近感も覚え、また、深く感じ入ります。 ちょっと一息というか、歴史研究の面白さの一端として、そういう記述を抜き出して、時々ご紹介してみようと思います。今回は、小瀬...
2016年6月14日火曜日
摂津池田とも接点があった加賀国豪商銭屋五兵衛の活動
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栄根寺跡にある銭屋五兵衛の顕彰碑 川西市寺畑にある栄根寺廃寺遺跡史跡公園に、加賀国宮腰の豪商銭屋五兵衛の顕彰碑があります。この栄根寺跡には、銭屋五兵衛の事を知りたくて訪ねたのでは無く、荒木村重の本拠地が、この近くの栄根村でその周辺を治めていたという伝承があって、その立地...
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2016年6月13日月曜日
池田勝正の跡職を継いだ、知正は山脇系池田氏か!?
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詳しくはまた、東山町と戦国武将山脇氏でご紹介できればと思いますが、永年気になっていた、池田知正について、最近何となく解ってきたような気がしています。 以下のような点について、気になる要素がありました。 池田知正は民部丞を名乗ったか。 池田久左衛門尉と荒木久左衛門尉は...
2016年5月21日土曜日
摂津池田城下にあった万願寺屋は荒木村重と関係する!?
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大正時代頃の酒造家の万願寺屋跡(池田町史より) 満願寺屋は池田の歴史を語る上では、避けて通れない要素で、その歴史は広くて深いので、これだけを取り上げても相当なボリュームになります。詳しくはまた後日に譲るとしまして、戦国時代と万願寺屋の関係についてご紹介したいと思...
2016年5月20日金曜日
摂津池田城の縄張り概念は、五月山山上にまで及んでいた!?
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戦国大名池田筑後守勝正研究の核心である、勝正そのものの事実や家の事、また、その本拠たる池田城の事をしっかりとご紹介する事をそろそろしないといけません。 摂津池田氏については、滅びた家だけに、総合的な検証もなければ、史料も無いため、これまでは、史料集めを兼ねたその外郭部分を見...
2016年5月14日土曜日
摂津池田家解体後に池田紀伊守家系の人物が、毛利輝元へ客将として迎えられている史料
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元亀4年7月に足利義昭が京都から落ちた事で、幕府機能が停止します。しかし、織田信長方が五畿内地域で優勢ではあったものの、その後も余震が続き、天正3年春頃までは足利義昭方の勢力も抵抗を続けて、侮れませんでした。 とはいうものの、織田方は重要な戦で確実に勝ち、また、政治的対応も...
2016年5月13日金曜日
池田筑後守勝正の法名は「前筑州太守久岩宗勝大禅定門」か
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研究特集「摂津国豊嶋郡細河郷と戦国時代の池田」としてご紹介している一連の記事ですが、今は「細河庄内の東山村と武将山脇氏について」を調べています。ただ今、鋭意作成中ですので、近日の公開にご期待下さい。 色々な資料を読んでいますが、池田郷土史学会が発行している会報『池田郷土史研...
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