戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2016年5月21日土曜日
摂津池田城下にあった万願寺屋は荒木村重と関係する!?
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大正時代頃の酒造家の万願寺屋跡(池田町史より) 満願寺屋は池田の歴史を語る上では、避けて通れない要素で、その歴史は広くて深いので、これだけを取り上げても相当なボリュームになります。詳しくはまた後日に譲るとしまして、戦国時代と万願寺屋の関係についてご紹介したいと思...
2016年5月20日金曜日
摂津池田城の縄張り概念は、五月山山上にまで及んでいた!?
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戦国大名池田筑後守勝正研究の核心である、勝正そのものの事実や家の事、また、その本拠たる池田城の事をしっかりとご紹介する事をそろそろしないといけません。 摂津池田氏については、滅びた家だけに、総合的な検証もなければ、史料も無いため、これまでは、史料集めを兼ねたその外郭部分を見...
2016年5月14日土曜日
摂津池田家解体後に池田紀伊守家系の人物が、毛利輝元へ客将として迎えられている史料
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元亀4年7月に足利義昭が京都から落ちた事で、幕府機能が停止します。しかし、織田信長方が五畿内地域で優勢ではあったものの、その後も余震が続き、天正3年春頃までは足利義昭方の勢力も抵抗を続けて、侮れませんでした。 とはいうものの、織田方は重要な戦で確実に勝ち、また、政治的対応も...
2016年5月13日金曜日
池田筑後守勝正の法名は「前筑州太守久岩宗勝大禅定門」か
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研究特集「摂津国豊嶋郡細河郷と戦国時代の池田」としてご紹介している一連の記事ですが、今は「細河庄内の東山村と武将山脇氏について」を調べています。ただ今、鋭意作成中ですので、近日の公開にご期待下さい。 色々な資料を読んでいますが、池田郷土史学会が発行している会報『池田郷土史研...
2016年5月3日火曜日
摂津国豊嶋郡細河郷と戦国時代の池田(細河庄内の木部村と武将下村氏について)
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摂津国豊島郡細川郷(庄)内の下村氏は、同郡内から成長を遂げた戦国領主池田氏に早い時期から被官化していたと考えられる。 実際にはもっと早くから確認できるのかもしれないが、筆者が池田勝正の活動に主眼を置き、その活動を追っている関係で、享禄2年(1529)から天正7年(1579)...
2016年4月28日木曜日
摂津国豊嶋郡細河郷と戦国時代の池田(摂津国豊嶋郡細河庄(郷)とその村々及び社寺)
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細郷(細川庄)は、古くから開け、久安寺を始めとした、非常に古い開基を持つ寺が多くあります。また、江戸時代の開基であっても、再興としての意味合いを持つ寺も多く、非常に古い時代の寺宝を持つ寺も多くあります。神社も然りです。 細郷内には曹洞宗の寺院が多く、大広寺末寺及び同寺に関わ...
2 件のコメント:
2016年4月13日水曜日
戦国時代の摂津国池田氏に関わる寺社
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現代社会のように、個人の生命と財産を守る権利や義務が客観的には遠く、多分に主観的であった時代には、個人の基本的人権を守るためには集団に属する外無く、そういう社会単位の中で、精神的な欲求を満たす様々な要素が存在します。それは、現在社会よりも深くて広く、それを求める苦しい時代だった...
2016年4月10日日曜日
戦国時代の摂津国池田氏の支配及び軍事に関わる周辺の村々
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戦国時代という、後世のその名付けの通り、日常的に武力行使の政治解決が行われていた時代には、政治的機構と設備、体制は軍事と一体化しているため、分けることが難しいのですが、かといって一緒にしてしまうと、膨大になってしまい、思考と理解の集中が効率的では無くなるので、一旦、分けて考える...
2016年4月9日土曜日
戦国時代の摂津国池田城と支城の関係を考える
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どこで、どのように確認すれば良いのかわからないまま、個人的には「城」というのは、軍事・政治的に展開するためには、本城と支城で構成されている事が、必要不可欠であったと考えています。更に踏み込んだ言い方をすると、「郡」単位を支配領域に持つ、いわゆる戦国領主にとっても、それは当然の原...
2016年3月26日土曜日
中岡嘉弘氏著 改訂版 池田歴史探訪(寺社・史跡・遺跡見所のすべて)という本
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中岡嘉弘氏は、私と同じく池田郷土史学会の会員でもあり、池田の郷土史について、色々と教えていただいています。中岡さんは1930年のお生まれで、京都のご出身。1950年代から池田にお住まいです。 京都出身という事もあるのだと思いますが、生活の中で身についた歴史的知識というものが...
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