戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2013年7月17日水曜日
三好為三と三好下野守と摂津池田家の関係(その3:三好下野守(宗渭)について)
›
この記事については、最近(2015年11月)に、戦国遺文(三好氏編3)が発刊された事で、以下の時点よりも目にする史料が増えましたので、近日に追って修正をしたいと思いますので、少々お待ち下さい。 三好為三と三好下野守と摂津池田家の関係(その3:三好下野守(宗渭)について)...
2013年7月12日金曜日
三好為三と三好下野守と摂津池田家の関係(その2:池田筑後守信正(宗田)について)
›
池田筑後守宗田(信正)は、管領細川右京大夫晴元に重用され、その政権を支える国人の一人でした。各地の守護も政権を支える大きな力となってはいましたが、国人はそういった地域の枠を越えて、江戸幕府でいうところの「旗本」のような、守護を通さずに直接指示を受けるような事もあったようです。 ...
2013年7月8日月曜日
三好為三と三好下野守と摂津池田家の関係(その1:三好筑前守政長(宗三)について)
›
堺市の善長寺にある三好政長の墓 この記事については、最近(2015年11月)に、戦国遺文(三好氏編3)が発刊された事で、以下の時点よりも目にする史料が増えましたので、近日に追って修正をしたいと思いますので、少々お待ち下さい。 三好為三を知ろうと思えば、一世代前か...
2013年7月6日土曜日
三好為三と三好下野守と摂津池田家の関係(はじめに)
›
三好為三と同苗下野守について、花押が一致したとの事で、同一人物説があるのですが、私も初めはその説を支持していました。しかし、両者の流れを見ると、必ずしも一致しません。 当然、私も花押を見比べていく必要があり、それをしっかりとすべきですが、今のところ史料の整合性を中心に見てい...
2013年6月24日月曜日
池田四人衆から三人衆へ
›
<概要> 元亀元年(1570)6月、摂津国守護所である池田城内において内訌が発生。同国守護職であり、池田家当主でもあった池田勝正は、重臣集団から追放されて城を出ました。 池田衆は、将軍義昭を中心とする幕府方に忠誠を尽くして東奔西走しましたが、過酷な政権維持環境のために家中...
2013年6月16日日曜日
池田四人衆について
›
<概要> 池田四人衆とは、国人であった摂津国池田家が、戦国大名として成長する過程で生まれた、家政機関です。 四人衆制度は池田信正が当主であった時代に生まれ、長正、勝正の代まで機能していました。 元亀元年6月の池田家内訌で、当主の勝正が追放され、その時に四人衆も再編され...
2013年6月15日土曜日
荒木村重など、池田一族が署名した『中之坊文書』について
›
有馬城跡から有馬の町を見る 摂津国有馬郡湯山年寄中に宛てた、荒木村重など池田家中の諸侍が署名した『中之坊文書*』は、非常に重要な史料です。 しかし、残念ながら年記を欠き、6月24日とのみあるだけで、何時の事なのか不明です。ですので、研究は進んでいません。この史料は神...
2013年5月21日火曜日
三重県桑名市にある「輪中の郷」という資料館
›
「輪中の郷」の看板 「輪中(わじゅう)」とは、学校で習ったので、知っていたつもりなのですが、天井川と同義の環境を指すものと思い込んでいました。 しかし、輪中には定義があり、地域社会組織やその生活を守る習慣と仕組みまでも含めたものをそう呼ぶのだと、資料館を訪ねてみて認...
2013年5月15日水曜日
奈良県生駒郡安堵町窪田にある重要文化財中家住宅
›
中家住宅主屋 前回( 奈良多聞山城の城門遺構 )からの続きです。 奈良多聞山城の城門の遺構と伝わる石田家住宅を見学のため、奈良県生駒郡安堵町を訪ねたのですが、その隣の中家住宅が国の重要文化財で、この一帯の歴史的遺物の中心です。 当然、中世の頃は主郭に当主の屋敷...
2013年5月4日土曜日
奈良多聞山城の城門遺構
›
伝多聞山城城門の構造 前からちょっと気になっていた、多聞山城の城門遺構と伝わっている石田家住宅の門を見学に行ってきました。この門は、国指定の重要文化財である中家住宅に隣接して今も残っています。石田家住宅は今は無住で、外観だけを見る事ができるのですが、無住のせいか、随分荒...
‹
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示