戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2013年6月24日月曜日
池田四人衆から三人衆へ
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<概要> 元亀元年(1570)6月、摂津国守護所である池田城内において内訌が発生。同国守護職であり、池田家当主でもあった池田勝正は、重臣集団から追放されて城を出ました。 池田衆は、将軍義昭を中心とする幕府方に忠誠を尽くして東奔西走しましたが、過酷な政権維持環境のために家中...
2013年6月16日日曜日
池田四人衆について
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<概要> 池田四人衆とは、国人であった摂津国池田家が、戦国大名として成長する過程で生まれた、家政機関です。 四人衆制度は池田信正が当主であった時代に生まれ、長正、勝正の代まで機能していました。 元亀元年6月の池田家内訌で、当主の勝正が追放され、その時に四人衆も再編され...
2013年6月15日土曜日
荒木村重など、池田一族が署名した『中之坊文書』について
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有馬城跡から有馬の町を見る 摂津国有馬郡湯山年寄中に宛てた、荒木村重など池田家中の諸侍が署名した『中之坊文書*』は、非常に重要な史料です。 しかし、残念ながら年記を欠き、6月24日とのみあるだけで、何時の事なのか不明です。ですので、研究は進んでいません。この史料は神...
2013年5月21日火曜日
三重県桑名市にある「輪中の郷」という資料館
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「輪中の郷」の看板 「輪中(わじゅう)」とは、学校で習ったので、知っていたつもりなのですが、天井川と同義の環境を指すものと思い込んでいました。 しかし、輪中には定義があり、地域社会組織やその生活を守る習慣と仕組みまでも含めたものをそう呼ぶのだと、資料館を訪ねてみて認...
2013年5月15日水曜日
奈良県生駒郡安堵町窪田にある重要文化財中家住宅
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中家住宅主屋 前回( 奈良多聞山城の城門遺構 )からの続きです。 奈良多聞山城の城門の遺構と伝わる石田家住宅を見学のため、奈良県生駒郡安堵町を訪ねたのですが、その隣の中家住宅が国の重要文化財で、この一帯の歴史的遺物の中心です。 当然、中世の頃は主郭に当主の屋敷...
2013年5月4日土曜日
奈良多聞山城の城門遺構
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伝多聞山城城門の構造 前からちょっと気になっていた、多聞山城の城門遺構と伝わっている石田家住宅の門を見学に行ってきました。この門は、国指定の重要文化財である中家住宅に隣接して今も残っています。石田家住宅は今は無住で、外観だけを見る事ができるのですが、無住のせいか、随分荒...
2013年4月29日月曜日
元亀元年夏の摂津国野田・福島の戦いと野田ふじ
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摂津国の戦国大名池田勝正も参陣していた元亀元年(1570)夏の野田・福島城攻めについて、永年気になっていました。 江戸時代、そこは藤の花の名所としても知られる所となりました。 藤の花は、家紋のモチーフとしても用いられる程、日本文化に深く根付いた植物です。また、藤の花...
2013年3月18日月曜日
天正5年4月6日、織田信長方荒木村重、播磨国人原右京進宿所へ宛てて音信
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小野市史第4巻 史料編の380ページに、興味深い史料があります。 この時は織田信長方であったであろう荒木村重が、播磨国人と思われる原右京進の宿所へ宛てて音信しています。 内容は、 -------------------------------- 存分安河(不明な人物...
2013年2月28日木曜日
天正3年9月18日、長雲軒妙相、河内国人安見新七郎宿所へ宛てて音信す
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名古屋大学文学部国史研究室の所有する史料が『中世鋳物師史料』として発刊されています。 同史料に含まれる書状に、年欠9月18日付けで、長雲軒妙相なる人物が、河内国人安見新七郎宿所へ宛てたものがあります。この安見氏は、河内国守護代の家系で、この新七郎はその当主にあたる人物です。...
2013年2月27日水曜日
大東市の市民学芸員制度
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南郷研究会という郷土研究会に参加したところ、ちょうど、「市民学芸員Report」という会報が配られた事から、大東市の市民学芸員という取組みを知りました。 その方は南郷研究会の会員であると同時に、この市民学芸員もされておられて、地域の文化財について熱心に取り組んでおられます。...
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