戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2012年10月24日水曜日
池田・箕面市境にある石澄滝と鉱山
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五月山から北には無数の鉱山跡があります。五月山は北摂山塊の南端にあたり周辺には「間歩(まぶ)」跡も多く見られます。近くでは多田銀山が有名ですね。 しかし、池田市域にも間歩跡がいくつかあります。五月山の連なりで頭頂部にあたる六個山(396メートル)の西側に、間歩跡が残っていま...
2012年10月14日日曜日
白井河原合戦にも従軍した藤井加賀守について
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『陰徳太平記』の記述にも登場する藤井加賀守なる人物についてですが、直接的な史料はあまり無いものの、実在した人物であることは間違い無いようです。 幸福山太春寺の山門 いわゆる、池田二十一人衆の連署状とされる『中之坊文書』に、藤井権大夫数秀なる人物が署名をしています。ま...
2012年10月13日土曜日
旧暦8月28日は、今年のカレンダーでいうと10月13日です。
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旧暦8月28日は、今年のカレンダーで言うと、10月13日です。 旧暦の元亀2年8月28日は、太陽暦の10月13日です。そうです、白井河原合戦は、こんな季節に行なわれたのです。 数字だけ見ていると、「夏」ですが、収穫の時期、しかもこんなに涼しい時期に合戦が行なわれました。朝...
2012年10月12日金曜日
和田惟政、決戦のため幣久良山に陣を取る
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元亀2年(1571)8月27日、日本史上でも決して小さな出来事とは言えない「白井河原大合戦」の前日です。記録は陰暦ですので、現在の太陽暦に変換すると、本日10月12日です。 田畑の実り豊かなこの時期に、反幕府方池田衆と幕府方摂津守護和田方が、攻防戦が繰り広げられて、いよいよ...
2012年10月7日日曜日
441年前の今日、池田衆が3,000の兵を率いて白井河原へ出陣
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元亀2年(1571)8月22日早朝、三好三人衆方池田衆は、幕府方摂津守護和田伊賀守惟政に決戦を挑むべく、3,000の兵を西へ向けて出陣させました。今から441年前です。 また、当時の記録にある日付は旧暦であり、陰暦ですので、現在の太陽暦で言うと、正に「今日」です。 そう...
2012年9月24日月曜日
組織と個人を結びつけ、維持する事
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組織と個人を結びつけ、維持する事について、個人的に関心を持っています。それを維持し続ける要素とその中心たる核。また、それを維持し、発展させて行く要素とは何でしょうか? これは、現在にも通じるテーマです。 池田勝正が生きた時代の日本には「家」制度があり、その中心は血族の結...
2012年9月14日金曜日
千年以上前のナビ
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仕事でちょこちょこと京都にも行くのですが、交差点を渡る時にふと思いました。 「ナビだ」と。 東西南北を把握し、通りと筋の名前がわかれば、いつでも自分の位置が把握できます。学校でも習った碁盤の目の都市づくりですね。 こんな仕組みが千年以上前からあったとは、凄いな〜、と...
2012年8月28日火曜日
元亀2年8月28日の白井河原合戦の事
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元亀元年(1571)8月28日の早朝、今の大阪府茨木市郡付近で三好三人衆方池田衆と幕府・織田信長方和田伊賀守惟政勢の合戦があり、池田衆が勝利しました。今から441年前です。 詳しくは昨年、「 白井河原合戦に至るまで 」として詳しく書いてみました。ご興味のある方は、ご覧下さい...
2012年8月17日金曜日
元亀2年9月中頃、摂津国吹田へ吹田氏復帰か
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詳しい日時は不明ですが、白井河原合戦の戦況から見ると、元亀2年(1571)の9月中頃には摂津国吹田村を取り戻し、三好三人衆方池田氏に近しい吹田氏が入った(復帰した)と考えられます。 千里丘陵の南側に位置する、水運・陸上交通の要衝である吹田は、同年6月に吹田城を落として制圧し...
2012年8月4日土曜日
摂津国吹田村にも関わった池田正行という武将
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池田勝正の一族で、池田正行なる人物が居ました。何通かの音信が史料として残っていますので、実在の人物です。この正行は、池田家中の政治に深く関わっており、その音信の内容も非常に興味深く、また、重要なものです。 正行は、吹田村について音信の中で触れています。以下はその音信の内容で...
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