戦国大名池田勝正研究所

世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ

ラベル 特集_摂津国欠(西成)郡中嶋にあった城について の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 特集_摂津国欠(西成)郡中嶋にあった城について の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
2025年9月25日木曜日

摂津国欠郡中嶋にあった城について考える(大阪市淀川区編)

›
大正時代初期:伝法付近の大浦渡の様子 いわゆる戦国時代ころ、摂津国欠郡中嶋という所は京都を首都とした国家体制において、非常に重要な場所でした。  現在は淀川区に東西淀川区で構成された一つの大きな島ですが、これは江戸時代からの営々と続けられた開拓の姿で、戦国時代には、大小の島が浮か...
2025年9月19日金曜日

摂津国欠(西成)郡中嶋にあった城について

›
「中嶋」という地域は、その名の通りの「島」ですが、これが江戸時代の開拓を経て、今は非常に大きな面積の島になっています。戦国時代には、大小いくつもの島が浮かぶ群島地域で、地形が随分と違います。同じような自然環境は、伊勢国長島や尾張国の河口にもあります。  しかしながら、この地域は水...
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示

自己紹介

自分の写真
柏床宜宏
東大阪市, 大阪府, Japan
池田勝正は、摂津国豊島郡池田(現池田市)にて戦国時代後期に生きた人物です。その時代頃の資料には散見されます。しかし、これまで、誰も彼について研究した人はいませんでした。  実は、京都の中央政治の命運も左右する程の拠点的勢力で、非常に重要な役割りと位置づけにありました。あの、織田信長や幕府とも直接的に関係を持った、戦国大名です。私は、池田勝正の生涯を研究しています。  なおウィキペディア(Wikipedia)の池田勝正の項目は私が書いたものではありません。ツイッター:@katsumasa2016
詳細プロフィールを表示
Powered by Blogger.