戦国大名池田勝正研究所

世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ

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2013年5月4日土曜日

奈良多聞山城の城門遺構

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伝多聞山城城門の構造 前からちょっと気になっていた、多聞山城の城門遺構と伝わっている石田家住宅の門を見学に行ってきました。この門は、国指定の重要文化財である中家住宅に隣接して今も残っています。石田家住宅は今は無住で、外観だけを見る事ができるのですが、無住のせいか、随分荒...
2012年5月2日水曜日

奈良多聞山城の守備

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永禄10年春から翌年夏までの奈良多聞山城攻めに参加した池田勝正は、その守備をどのように考えていたのかが気になっていました。 永禄11年9月、遂に多聞山城は落ち、松永久秀は、そこから北に2里程の鹿背山城へ移ります。逃げる事ができたと言う事は、そういう縄張りになっていて、その領...
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柏床宜宏
東大阪市, 大阪府, Japan
池田勝正は、摂津国豊島郡池田(現池田市)にて戦国時代後期に生きた人物です。その時代頃の資料には散見されます。しかし、これまで、誰も彼について研究した人はいませんでした。  実は、京都の中央政治の命運も左右する程の拠点的勢力で、非常に重要な役割りと位置づけにありました。あの、織田信長や幕府とも直接的に関係を持った、戦国大名です。私は、池田勝正の生涯を研究しています。  なおウィキペディア(Wikipedia)の池田勝正の項目は私が書いたものではありません。ツイッター:@katsumasa2016
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