池田長正という武将は、摂津国人で池田家の惣領となった人物ですが、時の資料(史料)が少なく、あっても断片的で、不明な点が多くあります。
しかし、その長正の代で、後に池田家中から頭角を現す武将荒木村重の歴史的背景も明確にできる示唆があり、また、畿内地域でも有数の勢力であった池田家中の政治実態が明らかになることで、中央政治の一部が明確にできるようになります。
そして何より、直接的に、池田勝正が惣領となる経緯、その支援権力機構(体)である「四人衆」の実態が明らかになります。
池田長正の活動実態を明らかにする事は、多難ではありますが、取り組む意義が非常に大きいと考えています。
◎摂津国人池田筑後守長正について考える
◎摂津池田家惣領家(筑後守)の幼名は「太松丸」である可能性
◎摂津国人惣領格の池田長正が、芥川孫十郎と共に活動していたかもしれない史料を発見!
◎摂津国人池田長正は、最終的に「筑後守」を名乗って惣領となっている証拠史料
◎松永久秀が、幕府政所伊勢貞助などへ宛てた新出史料の特別公開を展覧して
◎丹波八上城に存在する「芥丸」(伝芥川某の持場)という気になる曲輪について ← NEW
【参考ページ】
◎摂津国芥川に関係の深いいくつかの系譜の芥川氏について、馬部先生のお見立て
◎摂津国人池田信正が、天文16年に摂津国榎並庄にあった大金剛院(赤川寺)の「大般若経六百巻」を同国豊嶋郡の久安寺に寄進した事についての考察
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