瓢箪山稲荷は、創建は天正11年(1583)で、羽柴秀吉が大坂城築城にあたり、巽の方(大坂城の南東)三里の地に鎮護神として伏見城から「ふくべ稲荷」を勧請したことが由緒とされています。
同社の西に、東高野街道が南北に通っており、その道に沿いに大鳥居が立てられています。ウィキペディアを引用させていただいて、ザッと概念をご覧いただくと、
”いつ頃に形成されたかは定かでない。既存の集落を経ず、出来るだけ直線になるように通されており、自然発生的に形成された道ではなく、計画に基づいて建設された古代道路であると言われている。 淀川水系の河川や、かつて存在した巨大な河内湖(深野池)周辺の湿地帯を避けて生駒山地の麓を通り、河内国府(現在の藤井寺市)付近で大和川を越えると石川の左岸に沿って通った。 平安時代には駅が設置され、京と河内国府を結ぶ官道としても重要であったとされる。
その後は官道としての重要性は薄れたものの、仏教信仰の一般化に伴い、高野山参りが盛んになると参拝道として賑わうようになった。 ”
とあり、この賑わいが現在も引き継がれて、瓢箪山稲荷周辺は、商店街となっています。近鉄電車の「瓢箪山駅」もあって、東大阪の商都の一つでもあります。
戦国時代には、盛んに戦国武将の往来もあったでしょう。南北にほぼ一直線であり、東に聳える生駒山への山道がこの道と何本も交わります。交通の要衝です。
この瓢箪山稲荷神社の大鳥居近く、東高野街道沿いにスーパーダイエーがあったのですが、これが最近取り壊されたことで、かつての水路が現れました。石の積み方からして新しいモノではありません。
何かご存知の情報がありましたら、ご教示いただければと思います。以下、令和5年(2023)8月7日時点の様子です。
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石垣の様子 |
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一部は崩されている |
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水路が二本ある |
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北に向かって今も流れる水路 |
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旧ダイエー跡地(見えている山は生駒山:東を望む) |
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東高野街道の様子(商店街:ジンジャモール瓢箪山) |
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東高野街道沿いの瓢箪山稲荷神社大鳥居 |
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