大河ドラマ『麒麟がくる』の隙間を愉しむ企画
池田筑後守勝正さん、いらっしゃ〜い!どうぞどうぞ。
これにより、多くの皆さまに、池田の長い歴史に興味を持っていただき、文化財への関心を持っていただくきっかけになればと思います。
※この企画は、ドラマ中の要素を独断と偏見で任意に抜き出して解説します。再放送・録画を見たり、思い出したりなど、楽しく番組をご覧になる一助にご活用下さい。
今回は、第三十回「朝倉義景を討て」2020.11.1放送分です。
◎概要 -----------
今回は、将軍のロマンスが描かれて、なんのこっちゃわからん話しになって、けっこう動揺しています。あと何回の放送分があるでしょうか。こんなに寄り道をしていて、間に合うでしょうか?というか、光秀の人物像を描くことはできるのでしょうか?このままでは、またコケる予感がします。
それと、今回のストーリーは、ファンタジーレベルで、史実とは全く違います。最新の学説を採用して筋書きを書いたりする一節がある割りには、こんなことが起きたり、時代考証者を置いたりしている割りには、ロマンスに時間を割いたりと、この頃は何だか作者の想いがどこにあるのかわからなくなる時があります。
さて、今回のレポートですが、特に取り上げるところも無いので、越前朝倉攻めに要素をを絞って、皆さまにご紹介したいと思います。
越前朝倉攻めについて、私は平成23年に池田郷土史学会で研究発表を行っており、その時のレジュメをご覧になれば、だいたいの概要はおかりいただけると思います。ご興味のある方は、PDFファイルをダウンロードいただければと思います。
●浅井・朝倉攻めと池田勝正 -この戦いが池田家の分裂を招いた-(39.6MB)
↑用紙サイズはA3です。
【摂津守護職として、将軍義昭・織田信長政権を支える】
◎池田衆の実力
◎諸役負担、軍事負担、一部の権利返
【浅井・朝倉攻め】
◎軍事行動の目的と池田家の役割
◎金ヶ崎の退き口から第二次浅井・朝倉攻め(姉川合戦)に至るまで
【池田家内訌】
◎内訌の様子とその後の勝正の動き
◎三好三人衆方に復帰後の池田衆の動き
▼過去記事
浅井・朝倉攻めと池田勝正 -この戦いが池田家の分裂を招いた-
越前朝倉攻めと池田勝正について、ちょっとだけ自分のコダワリをお伝えします。通説になっている、
- 「戦は時の運!」みたいな、織田信長の勇猛、猪突猛進、無理強い。
- 浅井長政の突然の裏切りからの近江国朽木(滋賀県高島市)を経由した京都への逃げ帰り。
- 越前朝倉攻めと姉川合戦は、別々の戦い。
織田信長などが陣を置いた 近江国清水山城主郭礎石建物復元図 |
これらの実際は、全部一つの要素・用途(作戦)であって、別々に考えるべきものではありませんでした。また、信長の行動は、非常に慎重で、用心深いため、練りに練られた行動計画を立てます。予定が狂えば、直ぐに修正案を出し、戦であれば、重要な戦いは、どんな手を使っても勝つために、自らが先頭に立って戦います。
この重要な局面で、摂津池田家は大きな役割りを担っていました。また、劇中と違い、将軍義昭と幕府は、積極的に武威を示す行動を志向し、あらゆる手を尽くしていました。
しかしながら、無理を重ねた池田勝正の行動は家中の不和を招き、その動揺を察した三好三人衆方に、つけいる隙を与えてしまいました。結果的にこの不和から、家中は分裂、荒木村重が台頭しますが、それは決して狡猾な下剋上ではなく、乞われて家中の地位、ひいては、社会的地位を上昇させることになり、それも通説と史実は異なります。
これらの悲劇は、現代社会でも繰り返され、起きうる事です。組織と個人の対比の中で、組織を悪のように考える風潮がありますが、その組織に糧を得、組織に護られて日常を暮らしていることもまた、歴史から学ぶことができるように思います。組織は支えなければ、簡単に壊れます。そして、その組織が無くなった時、悲惨な将来が待っています。争いの絶えない、無限の荒廃です。それが戦国時代です。身を守ることが精一杯でした。
支えなければ、国も地域も、簡単に壊れます。現代で置き換えるなら、有名会社組織(政治組織でも可)をなぞるとそういう組織論は理解を得られるかもしれません。誰も支えなくなれば壊れます。
明日は、文化の日。日頃よく使う「文化」って、皆さんは、どのように解釈していますか?良い機会ですので、池田勝正を研究する内に、自分なりに見えてきた「文化」とは何かについて、ご紹介できたらと思います。近日に公開します。
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