戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2023年5月6日土曜日
大坂本願寺五十一支城の一つ、伝葱生(なぎ)城について
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全く偶然の出会いでした。大阪市旭区にある、城北公園は、市バスの行き先として名前を聞いたのですが、一度も訪ねたことが無かったので、今回初めて訪ねました。初めは、千林の商店街をウロウロし、その内に、京街道を辿って淀川へ。淀川の堤防道をのんびり歩いて、城北公園へ向かいました。その帰り道...
2023年4月29日土曜日
『佐保佐保栗栖山砦跡- 国際公園都市特定土地区画整理事業に伴う調査報告書 -』にある「人質」「曲輪1(のみ)の火災跡」について考える
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摂津佐保城と同佐保栗栖山城について詳しく見る中で、その調査報告書には、非常に気になる指摘がされていました。個人的にも永年興味を持っていた中世の民俗学的なところであり、発掘調査報告書にも述べられている「人質」や、14ある曲輪の内、主たる構成要素であるものの曲輪1のみが火災を被った...
2023年4月8日土曜日
佐保城と佐保栗栖山城と白井河原合戦の関係性を考える
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永い間、気になっていた佐保城を訪ねる機会があり、行ってきました。お誘いいただき、実現しました。実際に現地を歩いてみると、文献からは判らない「感覚」を感じることができ、非常に有意義です。 この佐保城がなぜ気になるかというと、白井河原合戦において、非常に重要な位置づけであるためです...
2023年3月18日土曜日
灘酒 櫻正宗と正蓮寺・摂津池田の関係(はじめに)
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ユーチューブのコンテンツは、様々な情報があり、森羅万象何でもあるように思います。何でもない、いつもの風景から地元情報、昔の話し、陸・海・空・宇宙、世界中、時空も超え、何でもあります。そんな中で思うのは、結局、それは自分の限界に気付きます。知っているモノしか選べない。 まだAI(エ...
櫻正宗との運命の出会いと驚きの偶然
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本当に何の脈絡も無く、ユーチューブ内での動画候補に上がっていたコンテンツをクリックしたのがキッカケでした。 その動画に、私にとっては、もの凄い情報が収められていました。私の調べている、池田酒史・郷土史に関する濃密情報でした。『メタボのオッサンの唄』さんのチャンネルにある「【小林...
摂津池田城家老の存在
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摂津池田の伝家老屋敷位置 摂津池田家から台頭した荒木村重が摂津国守護職として有岡城主となり、摂津国内を治めていた頃、池田城家老として、5人の名が池田に伝わっています。 ※北摂池田 -町並調査報告書-(池田市教育委員会 1979年3月発行)P31(『穴織宮拾要記 末』) ---(資...
摂津国河辺郡荒牧村について
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少し話しは戻って、荒牧村について見てみます。 ※兵庫県の地名1(日本歴史地名大系29)P429 ---(資料6)---------------------------------------------- ◎荒牧村(伊丹市荒牧1-7丁目、荒牧、荻野7-8丁目、荻野) 鴻池村の北に...
荒牧屋(山邑家)と池田城家老職系譜を持つ上月政重は同郷
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先述の通り、上月重政のルーツの地が荒牧村であり、そこに住まう山邑氏とは当然ながら古い縁故関係があって、元禄・寛永年間という日本国内の経済復興期に、家業飛躍の好機を甲賀谷正長に求めたのだろうと思われます。この頃、めぼしい酒造地がほとんど無く、池田郷は、江戸積の下り酒を独占していまし...
寛永2年に荒牧屋(櫻正宗の前身)が創業した頃を考える
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1625年に山邑家は、酒造業界へ新たな参入をした画期だったのかもしれません。創醸とはいえ、正蓮寺とのエピソードを考えると、それ以前から酒造りは行われており、品質と量の確保ができるレベルであったからこそ、正蓮寺開創に多量の酒を提供できたものと思われます。 元禄年間過ぎ頃まで、酒造...
元禄年間の全国的な好景気と江戸での下り酒のブランド化
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元禄時代は、全国的に好景気に沸き、文化面でも復興期でした。当時の日本の政都であった江戸では、関西で醸造される酒の旨さからブランド化し、「下り酒」がもてはやされました。池田や伊丹の酒が銘酒として、引く手数多でした。 「摂泉十二郷の江戸積入津樽数」によると、元禄10年(1697)の...
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