戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2022年6月5日日曜日
摂津池田家の政治体制の考察
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応仁・文明頃の勢力図 池田家の惣領が信正の頃(勝正の先々代)になると、摂津国人の中でも一歩抜き出た存在に成長します。信正は畿内地域で活躍していた三好一族と親密になり、当時の管領であった細川晴元重臣三好政長の娘を娶って一族となりました。そのため、管領職であった晴元とも一気に距離が近...
2022年6月2日木曜日
池田筑後守勝正の子とされる「勝恒」が、天正年間に和歌山県東牟婁郡古座川町(旧池口村)に逃れて居住したとの伝承
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調べ事をしていて見つけました。池田筑後守勝正の子が、和歌山県の東牟婁郡まで逃れて居住したとの伝承があるようです。まだ、掘り下げて調べていないのですが、摂津国からはもの凄い距離があるところです。ここまでは流石に敵も追ってこないでしょう。 『紀伊続風土紀:紀伊国旧家地士中西孫左衛門』...
2022年5月13日金曜日
既知の史料なのに、読み返すと気付いたこと。「もしかして、これって...。」2点。
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今年初の更新です。新年、明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。永らくの未更新をお許し下さい。 近頃、元亀2年の史料を少し読み返すことがあり、時間が経って、改めて読んでみると「あれ?」ということがありますね。既知であり、既出の史料ですが、それを紹介した...
2021年10月30日土曜日
摂津郡山城(大阪府茨木市新郡山1丁目9付近)について考える
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大阪府茨木市新郡山1丁目9のあたりにあった、摂津郡山城跡です。天正6年冬の荒木村重謀反の時、織田信長はここにも本陣を置き、対応に腐心しました。11月16日、信長はこの場所で高山右近と会見し、間もなく、茨木の中川清秀も開城。同月26日、織田信長は、この場所で、高山右近・中川清秀に黄...
2021年10月28日木曜日
摂津穂積城(大阪府茨木市中穂積2丁目)が存在したか否かについて
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久々の更新です。いつも気まぐれですみません。 今回は、大阪府茨木市中穂積2丁目にあった、穂積城についてです。以前から気になっていたのですが、訪ねる事無く数十年が過ぎてしまったことを悔いています。しかし、今も面影は残っており、見ておいて良かったなと思います。町並みが変わる前に、今度...
2021年8月17日火曜日
荒木村重の末裔!?「ポツンと一軒家」の番組を見て。記事訂正です。
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前記事の訂正です。この番組は、歴史番組では無いので、あまり掘り下げはなかったですね。近日に以下の要素で、訂正と補足を致します。 ★ 「ポツンと一軒家」番組の公式サイト https://www.asahi.co.jp/potsunto/ 【荒木村重の子孫と伝わるお宅】 ◎本家と分家...
2021年8月12日木曜日
荒木村重の末裔!?が、「ポツンと一軒家」に取り上げられる!
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今度の日曜日(15日)、ポツンと一軒家という番組で、荒木村重の子孫と伝わる旧家が取り上げられるそうです。もし興味のある方は、ご覧下さい。 ★ 「ポツンと一軒家」番組の公式サイト https://www.asahi.co.jp/potsunto/ 番組の概要(ちょっと判りづらい)...
2021年8月7日土曜日
摂津池田家と忍者について考える
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この要素(忍者)は、非常に難しい判断です。今で言う、スパイやインテリジェンスの概念にもかかるものですが、資料も証拠もほぼ無いので、あったとか、無かったとかいつまでも論争しなければいけません。書き残したものは無く「口伝」であったこと、その意味は、残せば証拠になるからです。そのくら...
2021年7月13日火曜日
えびす様の総本社、西宮神社(兵庫県西宮市)に残る荒木村重の書状
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令和3年(2021)7月11日の日曜日に、西宮神社を訪ねました。西宮神社は、荒木村重との接点があります。同社は近いのに、初めて訪ねました。この日は暑かったのですが、境内は涼風が通り、藤棚の下にある休憩所に居るととても心地よく感じました。 この西宮神社は、えびす様の総本社として全...
2021年6月5日土曜日
摂津池田家は、楠木正成の血統を継いでいたのか!?伊居太神社社宝の置手拭型兜鉢の意味を考える
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郷土史家の中岡嘉弘氏の蔵書の中から、久安寺に関する非売品の書籍『摂津の国 細河の莊 久安寺ものがたり』を読ませていただいたことがキッカケで、これまで繋がらなかった線が沢山、繋がりました。国の重要文化財ともなっている楼門からしても、相当な勢力と財力であったことは確かだったのですが...
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