戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2016年1月25日月曜日
ミニシンポジウム「天下人三好長慶と飯盛城」を聴講して、城について考えた事
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去る平成28年1月24日、大東市で「天下人三好長慶と飯盛城」についてのミニシンポジウムがあり、学術的な見地から、以下の項目でお話しがありました。 ◎天下人三好長慶と飯盛城 (天野 忠幸氏) ◎飯盛城跡を国史跡に (中西 裕樹氏) 飯盛山山頂から南西方面を望む ...
2016年1月24日日曜日
池田四人衆の事について(はじめに)
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摂津国人池田氏が、近年概念化されつつある郡単位を支配する戦国領主となる成長過程で、当主を補佐するための官僚機構を創設した事は、非常に大きな意義があったと思われます。池田家は他の国人と違ってこの点が大きく異なり、これが成長のスピードを高め、勝正が当主となる頃には、近隣勢力とは比較...
2016年1月23日土曜日
1570年(元亀元)の幕府による阿波三好氏討伐計画(はじめに)
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元亀元年(1570)の幕府による越前守護朝倉義景攻めは有名ですが、実は阿波国三好氏攻めをも計画しており、検討の結果、朝倉攻めになった事は、あまり知られていないような気がします。 永禄12年(1569)時点で幕府は、阿波か越前のどちらを攻めるか、決めかねていたようです。しかし...
2016年1月18日月曜日
乱世を駆け抜けた城「若江城を探る」シンポジウムを聴講して
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去る1月16日、先週の土曜日なのですが、東大阪市立男女共同参画センター・イコーラムホールで開催(主催: 近畿大学 文芸学部文化・歴史学科 )されたシンポジウムに参加してきました。当日は盛況で、立ち見も出る程でした。プログラムは、 問題提起-歴史的拠点としての若江 網 伸也氏...
2016年1月9日土曜日
摂津池田家の支配体制(はじめに)
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応仁・文明の乱以降、京都中央政治の混乱もあり、日本全国の地方都市は独自に権力を形成するようになったとも言えます。 それは、更なる混乱を招き、戦国時代とも言われる、動乱の時代になりました。そんな環境の中で、首都京都に近い摂津国の有力武士であった池田家も成長していきます。将軍義...
2016年1月7日木曜日
永禄年間末期の三好義継の居城は、河内国の飯盛山城か!?
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飯盛山城跡から京都方面を望む 近年、河内国飯盛山城を国指定の史跡にしようと、大東市や四條畷市で盛り上がっているようで、学術的な再検証も行われているようです。 それにともなって、様々な出版物も出ていて、その理由について書かれています。三好義継は、池田勝正とも深く...
2015年10月8日木曜日
永禄11年の足利義昭上洛戦と摂津池田城(その1:なぜこの上洛戦が永禄11年秋だったのか)
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織田信長が、足利義昭の上洛要請に応じて京都を制した事は、多くの方々がご存知の事と思います。 尾張国内の統一、また、美濃・伊勢・近江国内の要所の制圧、若しくは影響下に置き、その上で京都侵攻への具体的な絞り込みを行いました。同時に、京都周辺での協力勢力の連絡と取り込みも行い、信...
2015年9月2日水曜日
素人が歴史を学ぶ(見る)上で心がけたい事
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近年、自国の歴史や他国と関わる歴史、特に明治時代以降の近代史について、関心が高まっているように思います。 確かに、私自身の過去を振り返って、学校ではどのように教えられていたかというと、近代史に入る頃には年末年始頃の3学期で、学ぶ方も教える方も、非常に怠惰だったと思います。で...
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2015年7月22日水曜日
研究用資料を製本して、本棚もスッキリ!
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郷土研究をするのに、色々とコピーを取る事が多く、本棚の多くの面積(容積)を占めるようになってきています。 私のように、限られた時代と人物を研究するだけでも多方面の資料をコピーする必要があるのですから、もっと広範に視点を持つ必要がある研究は相当な量になると思います。 資料...
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2015年7月4日土曜日
信長公記にも登場する、摂津武士池田紀伊守入道清貧斎(正秀)について
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私の調べている期間内で、池田正秀なる人物は池田家政の中心的人物で、非常に重要です。 池田家当主が信正(のぶまさ)の時代、時代の要請や池田家自身の繁栄で、当主だけでは手が足りなくなり、その補佐役として、信頼の置ける人物を一族の中から選抜して、その役に就かせたようです。 江...
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