戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2015年2月28日土曜日
荒木村重は摂津国及び河内北半国も領有した事について(はじめに)
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当時、私が会員であった荒木村重研究会会報に載せるべく、荒木村重が摂津国及び河内北半国も領有(40万石)した事について「荒尾市荒木家に伝わる信長朱印状の一考察」と題して書いた原稿です。結局この原稿はボツになりましたので、多くの皆様の批評を受けたく思い、ネット上に公開する事に致しま...
2015年2月27日金曜日
永禄12年の但馬山名氏攻めと播磨国攻め従軍(はじめに)
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永禄11年秋、足利義昭の要請に応じた織田信長を伴って入京し、第十五代室町将軍に任ぜられると、翌年から早速、政権の基盤作りを精力的に行います。 摂津国内最有力の勢力であった池田衆は、京畿政治の中でも中心的役割を担うに足る実力を持ち、幕府からも頼りにされていました。 正式に...
2015年2月22日日曜日
永禄10年の大仏焼失と池田勝正の奈良出陣(はじめに)
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永禄10年(1566)10月10日、奈良の大仏が、松永久秀と三好三人衆との闘争(戦争)の只中に焼け落ちます。これは多くの人が知る事実です。また、この大仏の焼失について、久秀が焼いたとする説も今に伝わっています。これも有名な逸話です。 この時、大仏のある回廊に陣を取り、その焼...
2015年2月20日金曜日
荒木村重も関わった、当主池田筑後守勝正追放のクーデター(その7.1:池田勝正追放後に別の当主を立てたか「続報」)
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同テーマ内のその7「池田勝正追放後に別の当主を立てたか」でも提起した概念ですが、その続報です。 その7での記事中でご紹介しました、史料3から5までの署名者である民部丞某は、同一人物である事が、判明しました。それら全ての花押が一致しました。再度、以下にその史料を掲示します。 ...
2015年2月13日金曜日
白井河原合戦についての研究
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白井河原合戦は、京都の中央政権を研究する上でも非常に重要な出来事だと思いますが、地方豪族の私闘のように概念付けされ、どちらかというと、歴史的な位置付けとしては軽んじられている現状にあるかと思います。 白井河原合戦の何が重要で、どんな事が起きていたかという事を以下にご紹介して...
2015年2月11日水曜日
戦国時代の交通・流通(はじめに)
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私は、摂津守護池田筑後守勝正について研究していますが、彼が活動した室町時代末期には流通もかなり発達していました。 そのため、様々な交通手段やそれに関わる組織、経済、手段、規制(法)、整備、管理、地形などなど様々な要素が社会の中で概念化されていました。 人間(個人)は社会...
摂津池田家の領域支配(元亀2年の白井河原合戦についての動きから見る)
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今も戦国時代も「お金」です。それのみで社会は構成されていませんが、やっぱりお金は、生活する上で重要な要素である事は、現代社会と同じです。ただ、戦国時代と現代との違いは、問題解決に武力行使を含めて解決するかどうか、です。 そんなお金の事について、摂津池田家が、どのように収入を...
2015年1月13日火曜日
摂津池田家についての発表会 続報
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来月の8日に予定されています、私の摂津池田家についての研究発表会ですが、会場が決まりましたのでお知らせします。 ご興味のある方は、是非お越し下さい。 ※私も会員なのですが、池田郷土史学会様では、会員も募集中です。年会費3,000円です。 とき:平成27年2月8日 13:...
2014年12月11日木曜日
荒木村重も関わった、当主池田勝正追放のクーデター(その7:池田勝正追放後に別の当主を立てたか)
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池田勝正とその時代の池田家について見ていくと、気になる事(人物)があります。後世に創作(全くの事実無根と考えている訳では無い)された家伝で、『陰徳太平記』や『中川家記』などには、元亀元年6月の池田家内訌で勝正を追った後に、別の当主を立てたかのような記述があります。これが、事実か...
2014年11月30日日曜日
ブログ紙面に広告の掲載を始めたいと思います
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いつも池田勝正研究所のブログをご覧いただきありがとうございます。 2009年にブログを開設以来、今では、毎日大変多くの方々にご覧いただけるようになりました。この閲覧者数の増加は、情報を提供する私にとっても大変励みになります。これからも多くの方々のご興味を満たすことができる記...
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