戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2013年10月29日火曜日
実は多発する日本の神社仏閣の火災や毀損、盗難
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最近、色々なところで話題になっていますが、日本の神社仏閣の火災がかなりあります。加えて、日本国内の文化財の盗難も続発しています。また、その価値を見つめる事も無く、古いからという感覚だけで、自ら破壊するものも相当数あります。 関係者・管理者の方は真剣に考えて下さい。私達はもの...
2013年10月25日金曜日
キリシタン武将高山右近と白井河原合戦(その4:完結)
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高山右近の参加した白井河原合戦について、筆者記述の「キリシタン武将高山右近と白井河原合戦」その1〜3をまとめてみたいと思います。 まとめ方をどうするか、悩んだのですが、少し趣向を凝らして、『スロイス日本史』を当時の事実に沿うように書き直してみたいと思います。 原文は『フ...
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2013年10月24日木曜日
キリシタン武将高山右近と白井河原合戦(その3:ルイス・フロイスが残した記録の誤訳部分を確認する)
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宣教師ルイス・フロイスの残した白井河原合戦についての記録を補足・補正し、その合戦とそれに至る状況を復元してみたいと思います。 前回の「 キリシタン武将高山右近と白井河原合戦( その2:ルイス・フロイスの残した資料について ) 」の記事を元に、以下説明していきたいと思います。...
2013年10月23日水曜日
キリシタン武将高山右近と白井河原合戦(その2:ルイス・フロイスの残した資料について)
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キリスト教宣教師ルイス・フロイスの記述を読み解くにあたり、何からご紹介すればいいのか、要素があり過ぎて悩むところがありますが、先ずは、各々の資料を上げておきたいと思います。 双方は、概ね同じ流れと内容ですが、少し違いがあります。ポルトガル語ですが、原文を見ないと何とも言えな...
2013年10月17日木曜日
キリシタン武将高山右近と白井河原合戦(その1:日本側に残る資料群)
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摂津国豊能郡高山村出身とされる高山右近は、非常に有名でありながら、謎の多い武将でもあります。 荒木村重の家臣となり、有力な武将となる以前については、詳しく判っていません。そんな高山右近が、元亀2年8月28日に行われた白井河原合戦とそこに至る活動に関わっている事が、キリスト教...
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2013年9月22日日曜日
三好為三と三好下野守と摂津池田家の関係(その7:三好下野守と為三が同一人物と考えられている史料群)
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このブログ上でこれまでは、史料上において、三好下野守と右衛門大夫政勝(為三)が別人であるとの論拠を示しました。しかしながら、両者が同一人物である可能性を示す要素が無くなった訳ではありません。 それについて京都大徳寺内の『大仙院文書』に収録されている両者の花押を見ると、ほぼ同じ...
2013年9月2日月曜日
三好為三と三好下野守と摂津池田家の関係(その6:三好為三と下野守が別人であると考える要素)
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三好下野守と同苗為三が別人だという事は、史料上では明らかです。その一方で、同一人物であるとの要素(説)も検証しつつ、別人であるとの考えの精度を、更に高める必要もあろうかと思います。 また、くどい様ですが、両者の前提は、下野守は政勝の兄で、政勝は入道して為三と名乗ったと考えて...
2013年8月29日木曜日
1571年(元亀2)8月29日の白井河原合戦
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前日の28日、白井河原での合戦で、大将の和田伊賀守惟政が戦死し、勝敗が決まりました。その様子をルイス・フロイスの『日本史』-和田殿が司祭とキリシタンに示した寵愛、ならびにその不運な死去について-から抜粋してみましょう。要素を箇条書きにしてみます。 和田殿の息子(惟長)は、...
2013年8月28日水曜日
荒木村重と池田城
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荒木村重が摂津国伊丹城を落し、同城を有岡城と改名して拠点とするまでは、池田城を根城に活動していました。 天正2年11月15日、村重は伊丹城を攻め落とします。そして、その後直ぐに村重は、拠点機能を伊丹へ移します。その頃、池田城は無傷であったため、この資材を伊丹へ移動し...
2013年8月27日火曜日
1571年(元亀2)の白井河原合戦前夜
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今から442年前、1571年(元亀2)の8月28日、摂津国嶋上郡の郡村付近で三好三人衆方の摂津池田勢と幕府方の和田伊賀守惟政勢が、大合戦を行いました。池田方は3,000の兵、和田方は1,000余りの兵で合戦となり、池田方が勝利しました。 ちなみに、この日付は太陰暦ですので、...
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