戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ
2013年1月12日土曜日
メディアに池田勝正が取り上げられました!
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池田の郷土史家の方の紹介で、池田城・池田氏関連の取材協力をさせていただきました。池田勝正も取り上げられています。 毎日新聞社が運営している、「 マチゴト・豊中池田 」という地域密着型新聞(11万部発行)があります。その中に漫画で知ろう豊中・池田というコンセプトの「とよい...
2013年1月8日火曜日
河内国津田城
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国見山展望台 河内国交野郡にあった津田城とは、どうも二ヶ所あったように思えます。 一つは、標高286.5メートルの位置に築かれた国見山城とも称された城。もう一つは、津田村そのものか、それを含む一帯の城。 このあたりは、在地領主の中原氏が勢力を持っていたようですが...
2013年1月5日土曜日
日本の重要文化財盗難が続発しています
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日本の重要文化財などが盗まれています。 日本で盗まれて行方不明になっている重要文化財は580点、その他の重要美術品を含むと1500点にのぼるようです。以下のようにまとめた人がいますので、引用しておきます。 1994 安国寺(長崎県壱岐島)から国の重要文化財指定の「高麗...
2013年1月1日火曜日
河内国枚方城
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枚方の京街道沿いに残る旧家 枚方城についてネット検索してみると、あまり記述はありませんが、いくつかある記事も概ね同じ出典を元に紹介されています。豊臣秀吉時代あたりからの城としての記述で、それ以前は不明としています。 また、『大阪府の地名」や『日本城郭大系』を見ても、...
2 件のコメント:
2012年12月13日木曜日
戦国時代も今現在も個人と社会の関係は、何も変わりません。その中心は人間です。
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趣味で室町時代後期(戦国時代)の人物研究をやっていますが、ひとりの人物を通して、様々な事が見えてきます。個人と社会の関係は、時代が移っても何も変わりません。使う道具が違うだけで、その中心は人間です。そして摂理には絶対に逆らえません。 とても興味深い事をいっていた学者がありま...
2012年12月5日水曜日
和漢胃腸薬 忍術丸(和漢生薬)
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ちょっと過去と現在とをつなぐ、現在の役立つ情報をご紹介したいと思います。 年末年始は何かと飲み食いが過ぎ、胃腸も疲れ気味になりますよね。私は、この「和漢胃腸薬 忍術丸(和漢生薬)」にもお世話になっています。この薬は、丸薬ですので携帯にも便利で、飲み易くなっています。 ※そ...
2012年11月29日木曜日
徳川幕末頃の武士の写真
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ちょっとたまには、視覚的な話題をひとつ。 江戸時代の終わりの頃から、明治時代にかけて、外国人向けのおみやげに武士の写真も人気がありました。白黒写真に着色してあります。 最近の日本ブームで再び脚光を浴びていますが、インターネットの時代になってそれが益々加速しているようです...
2012年11月22日木曜日
旧三箇村歴史案内ツアー
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旧下三箇地域の下野付近 先日、大東市立歴史民俗資料館が主催する、旧三箇村歴史案内ツアーへ参加してきました。大東市史編纂委員による説明を受けながらの見学でしたので、大変勉強になりました。 江戸時代に記された、大和川付け替え後の陸地化した地割り図の様子から、三箇村地を抽...
2012年11月13日火曜日
黒田勘兵衛と池田勝正と播州青山の合戦 その2
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永禄12年8月13日、池田勝正など幕府勢は、但馬・因幡国守護の山名祐豊を討伐し、伯耆国など周辺で影響力を持つ尼子氏勢力にも備えるための布石を打って帰途につきます。 しかしこれは、幡州青山の合戦で、友軍であった龍野赤松政秀勢が敗退したため、退路を断たれる恐れもあって、播磨方面...
2012年11月6日火曜日
黒田勘兵衛と池田勝正と播州青山の合戦
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平成26年(2014)の大河ドラマに黒田勘兵衛(孝高)が取り上げられる事になったようです。 最近の大河ドラマは低視聴率を続けていますが、戦国時代を取り上げる事で、業界期待通りの視聴率につながるかどうか、注目したいところですね。 青山古戦場跡 さて、大河ドラマで播...
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