tag:blogger.com,1999:blog-2087642050787767811.post1414979306565054544..comments2023-06-15T12:46:37.097+09:00Comments on 戦国大名池田勝正研究所: 明智光秀も陣を取った、戦国時代の史料に現れる森河内村(現東大阪市)と左専道村(現大阪市城東区諏訪1-2丁目)について柏床宜宏http://www.blogger.com/profile/07290049484504285484noreply@blogger.comBlogger3125tag:blogger.com,1999:blog-2087642050787767811.post-75359140106638253872020-11-14T17:43:48.910+09:002020-11-14T17:43:48.910+09:00お返事有難うございました。
早速図書館にて「織田信長文書の研究 下-P324」確認して参りました。
...お返事有難うございました。<br />早速図書館にて「織田信長文書の研究 下-P324」確認して参りました。<br />50年以上前に奥野高弘氏が確認していたものが最近になって再発見され、近くの大学教授が本物と確認出来たので世紀の大発見と書いてありました。<br />昔のことはみんな知らないので言った者勝ちですかね。<br />ご丁寧な対応誠に有難うございました。<br /><br />山本https://www.blogger.com/profile/08605787052027917364noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2087642050787767811.post-15537161714876596912020-11-09T22:50:01.776+09:002020-11-09T22:50:01.776+09:00こんにちは。
本文との繰り返しの回答になりますが、出典は、織田信長文書の研究-下-P324、(新)大...こんにちは。<br />本文との繰り返しの回答になりますが、出典は、織田信長文書の研究-下-P324、(新)大阪市史5(史料編)P196です。ここには『某氏所蔵文書』となっています。織田信長文書には、この収録文書について、比較的詳しく紹介されていますので、そちらをご覧下さい。柏床宜宏https://www.blogger.com/profile/07290049484504285484noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2087642050787767811.post-52262122898366898352020-11-02T12:09:56.467+09:002020-11-02T12:09:56.467+09:00突然の投稿で申し訳ございません。
先日この資料3とまったく同じ文章の古文書をみました。
それは織田信...突然の投稿で申し訳ございません。<br />先日この資料3とまったく同じ文章の古文書をみました。<br />それは織田信長書簡 羽田八幡宮所蔵 (愛知県豊橋市)となっていました。<br /><br />(史料3)-------------------------------<br />(明智)惟任日向守光秀用所申し付け、自余(他所、丹波国)へ差し遣わし候。一途(いちず:決着する)之間、森・河内城之方に自身相越し、用心等堅固に覚悟せしめ、摂津国大坂へ通路並びに夜待ち以下の事、聊かも油断あるべからず也。<br /><br />この資料の出展はどちらなのでしょうか?<br /><br />お手数ですが教えて頂けますと幸いです。Anonymousnoreply@blogger.com