2016年2月27日土曜日

中世の摂津国大坂周辺の地形について(東大阪に残る昔の川(新開池・深野池)の跡)

江戸時代の宝栄元年(1704)の大和川付け替えで、流路が変わり、現在のような風景になったのですが、今もそれ以前の川と池の境目が残っています。結構な段差があるところもあって、それらの痕跡をその当時の地図と見比べると面白いです。

先に紹介した、大東市立歴史民俗資料館が発行する常設展示案内パンフレットに紹介されている中世の流域復元図を元に、池・川の痕跡を写真でご紹介します。地図の中に、a〜eまでの地点を入れてあり、それに相対して以下に写真を示します。

大和川付け替え前の川の流路

 a地点(古箕輪八幡神社付近):
東大阪市古箕輪にある古箕輪八幡神社は少し高くなっていて、このあたりから北に落ち込んでいます。北への見通しが利くため、戦前は陸軍の用地だったようで、今もそれを記す石標が残っています。
 江戸時代から戦後、昭和30年くらいまで、このあたりに舟が着き、港のようになっていました。また、この近くにある藤五郎橋あたりは、水位を調整するパナマ運河のような閘門がありました。

東大阪市古箕輪の古箕輪八幡神社の段差

b地点(加納2丁目付近):
東大阪市加納2丁目の旧集落の鎮守宇波(うわ)神社西側の段差です。ここは現在、戸建住宅の建築中で、次第に見えなく、気づきにくくなるでしょう。左側は、宇波神社の地車保管庫です。
 このあたりが段丘の最北端にあたり、水深もあった事から船着場だったようです。宇波神社は、写真の段差よりも更に上で、この段丘の一番高い所にあります。万が一の水害の被害を受け無いよう、村の人々の想いが伝わります。

 
戸建住宅のための擁壁は1メートル以上ある


c地点(今米1丁目付近):
今米1丁目付近の旧吉田川の川筋跡です。今はもう川はありませんが、大きな川だったようです。このあたりも結構な段差が残っています。 すぐ南には川中村が隣接していて、ここは、大和川付け替えに尽力した中甚兵衛公のご子孫(甚兵衛公兄の系統)が今もお住いです。中甚兵衛公には、大正3年に従五位が贈られています。江戸時代で言えば、ちょっとした大名が受ける位階です。中世でも通用する、高い位です。

今米1丁目付近の入り組んだ段差

d地点(水走2丁目付近) :
東大阪市水走2丁目付近は旧集落で、大津神社があります。この神社は式内社で、平安時代にまとめられた神社の叢書に出てくる、古い神社です。
 神社には、大津神社由緒として「当社は延喜式神名帳に載せられている古社にして、御祭神は大歳神(おおちしのかみ)の御子大土神(おおすなのかみ:土之御祖神:すなのみおやのかみ)で、字宮森に鎮座するとあります。創建の年月は詳らかではないが、伝説によれば、天児屋根命(枚岡神社の御祭神)の乳母津速比賣(つはやひめ)ともいわれています。
 社名よりして古代当地は、湖沼時代に沿岸地域での港津として重要な交通上の拠点として発展してきた地と推察されます。平安時代から室町時代の中世にかけての集落が営まれた水走遺跡と合わせ、土豪水走氏が河内の一つの拠点として拓き発展してきたものと考えられる。」と石碑に刻まれ、紹介文があります。
 古水走村は、吉田川の東岸に位置し、すぐ南には奈良街道が通っていますので、交通の要衝でもあったでしょう。


東大阪市水走にある大津神社

e地点(吉田本町付近) :
東大阪市吉田本町付近は、今も地形が少し高くなっていて、その半島のようになった地形の上を古い道が通っています。d地点の大津神社から200メートル程南にある吉田本町郵便局のすぐ西側は、写真のような断崖です。2メートルくらいはあろうかと思います。湖だった頃、水深は結構深かったのだろうと思います。

東大阪吉田本町郵便局の西側あたり

f地点(稲葉1丁目付近):
玉串川が北上して分岐すると、東に注げば吉田川になります。玉串川は西側に注いで行きますが、その川筋跡が残っています。稲葉1丁目付近の段差がそれで、写真のように、結構高さがあります。写真の右手前にある道を行くとすぐに、稲葉神社があり、樹木の右手には近畿自動車教習所があるところの段差です。

近畿自動車教習所の南側境界のあたり


g地点(吉田1丁目の花園商店街付近):
東大阪市吉田1丁目の花園商店街の中を府道15号線が通っていますが、商店街なので、車の通行は難しい雰囲気なのですが、通れなくは無いです。しかし、商店街が賑わっていた頃は、朝晩以外は買い物客が行き交っていたでしょうし、日中は無理だったでしょうね。そういう所に府道が設定されているのは、昔からの大動脈だったからです。
 そんな道の脇が断崖です。ここも2メートルくらいはあります。玉串川から吉田川になる分岐点のあたりです。川に沿って道があり、駅ができたので、その道が商店街になったようです。
 このあたりの実際は、なだらかに高低差がついているのですが、写真の場所は生活の都合上、削ってしまって垂直な角が出ています。幸か不幸か、そのために、高さが見た目にも分かり易くなっていますね。


東大阪市の花園商店街に沿った断崖



他にも色々あるのですが、今回はこのくらいにしておきます。また追い追い、増やしていきたいと思いますので、どうぞご期待ください。
 当たり前のいつもの景色も、その理由を知れば、とても興味深く、見え方も全く変わります。今回ご紹介した池・川跡は、先人が豊かな地域づくりの為に開いた痕跡でもあり、確実に今に繋がっている事なのです。

日常の何気ない凸凹ですが、面白いでしょ?




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