2016年1月9日土曜日

摂津池田家の支配体制(はじめに)

応仁・文明の乱以降、京都中央政治の混乱もあり、日本全国の地方都市は独自に権力を形成するようになったとも言えます。
 それは、更なる混乱を招き、戦国時代とも言われる、動乱の時代になりました。そんな環境の中で、首都京都に近い摂津国の有力武士であった池田家も成長していきます。将軍義栄・義昭の時代には、同国内でも数郡を支配下に持つ最有力の勢力に成長し、池田家が戦国領主の概念を超える程の規模となっています。
 実質上の池田家最後の領主であった勝正の時代を目安に、池田家周辺の支配体制を考察してみたいと思います。
 
(1)摂津国川辺郡久代村の支配
(2)同国原田郷との関係
(3)摂津国垂水西牧南郷目代今西家との関係
(4)池田一族の代官請け
(5)池田家被官について
(6)池田周辺の政所
(7)摂津国豊嶋郡箕面寺
(8)池田氏が下した禁制及び定め
参考:摂津池田家の領域支配(1571年(元亀2)の白井河原合戦についての動きから見る)



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