2015年3月8日日曜日

荒木村重は摂津国及び河内北半国も領有した事について(第二章 検地について:三 家数改め)

織田信長は、指出・検地と共に領国内で家数改めを行った。この家数改めは、直接百姓を人身的に把握しようと試みたものとされている *12。夫役(役務)徴発は、家数改めを基礎に行われた。
 家数改めは、支配領域拡大と共に順次実施され、近江国では永禄11年頃から数年かけて、河内国では天正4年頃に高屋城を中心とした南部方面で、また越前国等でも行われていたらしい。
 このような織田政権の領内の人身把握によって、様々な夫役が課せられた。出陣時の陣夫(兵としても)・建設用務や日常用務、竹・藁・縄などの供出があった。
 信長は、この家数改めについて一定基準を作りつつ領内の把握を行い、必要な要素を速やかに徴集した。また、地域を一職支配している柴田勝家などの武将もそれと同様に管理していた。



【註】
(6)脇田修「二 織田検地における高」『近世封建制成立史論(織豊政権の分析一)』東京大学出版会(第三章 第二節)。
(12)前掲註(6)、「四 夫役徴収の実態」(第五章 第二節)。





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